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うひ山ぶみ / 注[チ]道をしらんためには、殊に古事記をさき

多くいろは假字をのみ用ひたるから、かゝる名目も有也、書紀をよむには大に心得あり云々、書紀は、朝廷の正史と立られて、御世々々萬の事これによらせ給ひ、世々の學者も、これをむねと學ぶこと也、まことに古事記は、しるしざまは、いとめでたく尊けれども、神武天皇よりこなたの、御代々々の事をしるされたる、甚あらくすくなくして、廣からず、審ならざるを、此紀は、廣く詳にしるされたるほど、たぐひなく、いともたふとき御典也、此御典なくては、上古の事どもを、ひろく知べきよしなし、然はあれども、すべて漢文の潤色多ければ、これをよむに、はじめよりその心得なくてはあるべからず、然るを世間の神學者、此わきまへなくして、た十一だ文のまゝにこゝろえ、返て漢文の潤色の所を、よろこび尊みて、殊に心を用るほどに、すべての解し樣、ことごとく漢流の理窟にして、いたく古ヘの意にたがへり、これらの事、大抵は古事記傳の首卷にしるせり、猶又別に、神代紀のうずの山蔭といふ物を書ていへり、ひらき見るべし、六國史といふ云々、六國史のうち日本後紀は、

新字:多くいろは仮字をのみ用ひたるから、かゝる名目も有也、書紀をよむには大に心得あり云々、書紀は、朝廷の正史と立られて、御世々々万の事これによらせ給ひ、世々の学者も、これをむねと学ぶこと也、まことに古事記は、しるしざまは、いとめでたく尊けれども、神武天皇よりこなたの、御代々々の事をしるされたる、甚あらくすくなくして、広からず、審ならざるを、此紀は、広く詳にしるされたるほど、たぐひなく、いともたふとき御典也、此御典なくては、上古の事どもを、ひろく知べきよしなし、然はあれども、すべて漢文の潤色多ければ、これをよむに、はじめよりその心得なくてはあるべからず、然るを世間の神学者、此わきまへなくして、た十一だ文のまゝにこゝろえ、返て漢文の潤色の所を、よろこび尊みて、殊に心を用るほどに、すべての解し様、ことごとく漢流の理窟にして、いたく古ヘの意にたがへり、これらの事、大抵は古事記伝の首巻にしるせり、猶又別に、神代紀のうずの山蔭といふ物を書ていへり、ひらき見るべし、六国史といふ云々、六国史のうち日本後紀は、

書き下し

多くいろは仮字をのみ用ひたるから、かゝる名目も有也、書紀をよむには大に心得あり云々、書紀は、朝廷の正史と立られて、御世々々万の事これによらせ給ひ、世々の学者も、これをむねと学ぶこと也、まことに古事記は、しるしざまは、いとめでたく尊けれども、神武天皇よりこなたの、御代々々の事をしるされたる、甚あらくすくなくして、広からず、審ならざるを、此紀は、広く詳にしるされたるほど、たぐひなく、いともたふとき御典也、此御典なくては、上古の事どもを、ひろく知べきよしなし、然はあれども、すべて漢文の潤色多ければ、これをよむに、はじめよりその心得なくてはあるべからず、然るを世間の神学者、此わきまへなくして、ただ文のまゝにこゝろえ、返て漢文の潤色の所を、よろこび尊みて、殊に心を用るほどに、すべての解し様、ことごとく漢流の理窟にして、いたく古ヘの意にたがへり、これらの事、大抵は古事記伝の首巻にしるせり、猶又別に、神代紀のうずの山蔭といふ物を書ていへり、ひらき見るべし、六国史といふ云々、六国史のうち日本後紀は、

現代語訳

多くいろは仮名ばかりを用いたから、このような名目もあるのである。『書紀をよむには大に心得あり』云々について。『日本書紀』は朝廷の正史と立てられて、御代御代あらゆる事をこれにお拠りになり、代々の学者もこれを主として学ぶのである。まことに『古事記』は記し方はたいへんすばらしく尊いけれども、神武天皇以後の御代御代の事を記されたのははなはだ粗く少なくて、広くなく詳しくないのに対し、この紀は広く詳しく記されている点で類がなく、まことに尊い御典である。この御典がなくては上古の事どもを広く知る手だてがない。そうではあるが、すべて漢文の潤色が多いので、これを読むには初めからその心得がなくてはならない。ところが世間の神学者はこのわきまえがなく、ただ文のままに心得て、かえって漢文の潤色の所を喜び尊んで、ことに心を用いるので、すべての解釈がことごとく中国流の理屈になって、ひどく古代の意に違っている。これらの事は、おおよそ『古事記伝』の首巻に記した。なおまた別に、神代紀の『うずの山蔭』というものを書いて述べた。開いて見るべきである。『六国史といふ』云々について。六国史のうち『日本後紀』は、

解説

注[リ]は本文の「書紀をよむには大に心得あり」を掘り下げる。宣長は『日本書紀』を軽んじてはいない。朝廷の正史であり、神武天皇以後の歴史は『古事記』よりはるかに広く詳しいので、これなしには上古を広く知ることはできないと、その価値を認める。ただし漢文の潤色が多いので、初めからそれを心得て読まねばならない。世の神学者はかえって潤色の部分を尊び、そこに心を用いるので、解釈がすべて中国流の理屈になったという。この点は『古事記伝』の首巻と『神代紀髻華山蔭(うずのやまかげ)』で詳しく論じたと案内している。一冊の書の価値を認めることと、その書の飾りに惑わされないことは両立する。重んじている資料の、どこが飾りでどこが実質かを見分けているだろうか。

この章句が説くこと

日本書紀古事記潤色漢意正史

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