うひ山ぶみ / 注[ト]第一に漢意儒意を
たとへばものゝふの、戰場におもむくに、まづ具足をよくし、身をかためて立出るがごとし、もし此身の固めをよくせずして、神の御典をよむときは、甲冑をも着ず、素膚にして戰ひて、たちまち敵のために、手を負ふがごとく、かならずからごゝろに落入べし、道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし、まづ神典は、舊事紀古事記日本紀を、昔より、三部の本書といひて、其中に世の學者の學ぶところ、日本紀をむねとし、次に舊事紀は、聖德太子の御撰として、これを用ひて、古事記をば、さのみたふとまず、深く心を用る人もなかりし也、然るに近き世に至りてやうやう、舊事紀は眞の書にあらず、後の人の撰び成せる物なることをしりそめて、今はをさをさこれを用る人はなきやうになりて、古事記のたふときことをしれる人多くなれる、これ全く吾師ノ大人の敎ヘによりて、學問の道大にひらけたるが故也、まことに古事記は、漢文のかざりをまじへたることなどなく、たゞ古ヘよりの傳說のまゝにて、記しざまいといとめでたく、
新字:たとへばものゝふの、戦場におもむくに、まづ具足をよくし、身をかためて立出るがごとし、もし此身の固めをよくせずして、神の御典をよむときは、甲冑をも着ず、素膚にして戦ひて、たちまち敵のために、手を負ふがごとく、かならずからごゝろに落入べし、道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし、まづ神典は、旧事紀古事記日本紀を、昔より、三部の本書といひて、其中に世の学者の学ぶところ、日本紀をむねとし、次に旧事紀は、聖徳太子の御撰として、これを用ひて、古事記をば、さのみたふとまず、深く心を用る人もなかりし也、然るに近き世に至りてやうやう、旧事紀は真の書にあらず、後の人の撰び成せる物なることをしりそめて、今はをさをさこれを用る人はなきやうになりて、古事記のたふときことをしれる人多くなれる、これ全く吾師ノ大人の教ヘによりて、学問の道大にひらけたるが故也、まことに古事記は、漢文のかざりをまじへたることなどなく、たゞ古ヘよりの伝説のまゝにて、記しざまいといとめでたく、
書き下し
たとへばものゝふの、戦場におもむくに、まづ具足をよくし、身をかためて立出るがごとし、もし此身の固めをよくせずして、神の御典をよむときは、甲冑をも着ず、素膚にして戦ひて、たちまち敵のために、手を負ふがごとく、かならずからごゝろに落入べし、道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし、まづ神典は、旧事紀古事記日本紀を、昔より、三部の本書といひて、其中に世の学者の学ぶところ、日本紀をむねとし、次に旧事紀は、聖徳太子の御撰として、これを用ひて、古事記をば、さのみたふとまず、深く心を用る人もなかりし也、然るに近き世に至りてやうやう、旧事紀は真の書にあらず、後の人の撰び成せる物なることをしりそめて、今はをさをさこれを用る人はなきやうになりて、古事記のたふときことをしれる人多くなれる、これ全く吾師ノ大人の教ヘによりて、学問の道大にひらけたるが故也、まことに古事記は、漢文のかざりをまじへたることなどなく、たゞ古ヘよりの伝説のまゝにて、記しざまいといとめでたく、
現代語訳
たとえば武士が戦場に赴くのに、まず鎧をよく整え、身を固めて出で立つようなものである。もしこの身の固めをよくしないで神の御典を読むときは、甲冑も着けずに素肌で戦って、たちまち敵のために傷を負うように、必ず漢意に落ち込むであろう。『道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし』について。まず神典は、『旧事紀』『古事記』『日本書紀』を昔から三部の本書といって、その中で世の学者が学ぶところは『日本書紀』を主とし、次に『旧事紀』は聖徳太子の御撰としてこれを用いて、『古事記』はそれほど尊ばず、深く心を用いる人もなかったのである。ところが近い世になってようやく、『旧事紀』は真の書ではなく、後の人が撰んで作ったものであることを知り始めて、今はほとんどこれを用いる人はないようになって、『古事記』の尊いことを知る人が多くなった。これはまったくわが師の大人の教えによって、学問の道が大いに開けたためである。まことに『古事記』は、漢文の飾りを交えたことなどなく、ただ古代からの伝説のままであって、記し方がたいそうすばらしく、
解説
この章句が説くこと
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うひ山ぶみ・注[チ]道をしらんためには、殊に古事記をさき多くいろは仮字をのみ用ひたるから、かゝる名目も有也、書紀をよむには大に心得あり云々、書紀は、朝廷の正史と立られて、御世々々万の事これによらせ給ひ、世々の学者も、これをむねと学ぶこと也、まことに古事記は、しるしざまは、いとめでたく尊けれども、神武天皇よりこなたの、御代々々の事をしるされたる、甚あらくすくなくして、広からず、審ならざるを、此紀は、広く詳にしるされたるほど、たぐひなく、いともたふとき御典也、此御典なくては、上古の事どもを、ひろく知べきよしなし、然はあれども、すべて漢文の潤色多ければ、これをよむに、はじめよりその心得なくてはあるべからず、然るを世間の神学者、此わきまへなくして、ただ文のまゝにこゝろえ、返て漢文の潤色の所を、よろこび尊みて、殊に心を用るほどに、すべての解し様、ことごとく漢流の理窟にして、いたく古ヘの意にたがへり、これらの事、大抵は古事記伝の首巻にしるせり、猶又別に、神代紀のうずの山蔭といふ物を書ていへり、ひらき見るべし、六国史といふ云々、六国史のうち日本後紀は、
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うひ山ぶみ・第二十五段さてかの二典の内につきても、道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし、
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うひ山ぶみ・注[チ]道をしらんためには、殊に古事記をさき上代の有さまをしるに、これにしく物なく、そのうへ神代の事も、書紀よりは、つぶさに多くしるされたれば、道をしる第一の古典にして、古学のともがらの、尤尊み学ぶべきは此書也、然るゆゑに、己、壮年より、数十年の間、心力をつくして、此記の伝四十四巻をあらはして、いにしへ学のしるべとせり、さて此記は、古伝説のまゝにしるせる書なるに、その文のなほ漢文ざまなるはいかにといふに、奈良の御代までは、仮字文といふことはなかりし故に、書はおしなべて、漢文に書るならひなりき、そもそも文字書籍は、もと漢国より出たる物なれば、皇国に渡り来ても、その用ひやう、かの国にて物をしるす法のまゝにならひて書キそめたるにて、こゝとかしこと、語のふりはたがへることあれども、片仮字も平仮字もなき以前は、はじめよりのならひのまゝに、物はみな漢文に書たりし也、仮字文といふ物は、いろは仮字出来て後の事也、いろは仮字は、今の京になりて後に、出来たり、されば古書のみな漢文なるは、古ヘのなべてのならひにこそあれ、
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うひ山ぶみ・注[ニ]主(ムネ)としてよるべきすぢは幸とも幸なれば、いかにも此たふとき皇国の道を学ぶべきは、勿論のこと也此道は、古事記書紀の二典に記されたる云々、道は此二典にしるされたる、神代のもろもろの事跡のうへに備はりたれども、儒仏などの書のやうに、其道のさまを、かやうかやうと、さして教へたることなければ、かの儒仏の書の目うつしにこれを見ては、道の趣、いかなるものともしりがたく、とらへどころなきが如くなる故に、むかしより世々の物しり人ども、これをえとらへず、さとらずして、或は仏道の意により、或は儒道の意にすがりて、これを説たり、其内昔の説は、多く仏道によりたりしを、百五六十年以来は、かの仏道によれる説の、非なることをばさとりて、其仏道の意をば、よくのぞきぬれども、その輩の説は、又皆儒道の意に落入て、近世の神学者流みな然也、其中にも流々有て、すこしづゝのかはりはあれども、大抵みな同じやうなる物にて、神代紀をはじめ、もろもろの神典のとりさばき、たゞ陰陽八卦五行など、すべてからめきたるさだのみにして、
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うひ山ぶみ・注[ヘ]初学のともがらは宣長が著したる返て大に道を害することのみ也、されば今、道のために、見てよろしきは、一つもあることなし、さりとて又初学のともがら、いかほど力を用ふとも、二典の本文を見たるばかりにては、道の趣、たやすく会得しがたかるべし、こゝにわが県居ノ大人は、世の学者の、漢意のあしきことをよくさとりて、ねんごろにこれをさとし教へて、盛ンに古学を唱へ玉ひしかども、其力を万葉集にむねと用ひて、道の事までは、くはしくは及ばれず、事にふれては、其事もいひ及ぼされてはあれども、力をこれにもはらと入れられざりし故に、あまねくゆきわたらず、されば道のすぢは、此大人の説も、なほたらはぬこと多ければ、まづ速に道の大意を心得んとするに、のり長が書共をおきて外に、まづ見よとをしふべき書は、世にあることなければ也、さる故に下には、古事記伝をも、おほけなく古書共にならべて、これをあげたり、かくいふをも、なほ我慢なる大言のやうに、思ひいふ人もあるべけれど、さやうに人にあしくいはれんことをはゞかりて、おもひとれるすぢを、
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うひ山ぶみ・注[ヲ]釈日本紀おのづからめづらしき古書の、世に埋れたるも、顕れ出る有リ、又それにつきては、偽書も多く出るを、その真偽は、よく見る人は、見分れども、初学の輩などは、え見分ねば、偽書によくはからるゝ事あり、心すべし、されば初学のほどは、めづらしき書を得んことをば、さのみ好むべからず、古事記伝云々、みづから著せる物を、かくやむことなき古書どもにならべて挙るは、おふけなく、つゝましくはおぼゆれども、上にいへるごとくにて、上代の事を、くはしく説示し、古学の心ばへを、つまびらかにいへる書は、外になければぞかし、されば同じくは此書も、二典とまじへて、はじめより見てよろしけれども、巻数多ければ、こゝへはまはしたる也、古学の輩の、古学とは、すべて後世の説にかゝはらず、何事も、古書によりて、その本を考へ、上代の事を、つまびらかに明らむる学問也、此学問、ちかき世に始まれり、契沖ほふし、歌書に限りてはあれど、此道すぢを開きそめたり、此人をぞ、此まなびのはじめの祖ともいひつべき、次にいさゝかおくれて羽倉ノ大人、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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