うひ山ぶみ / 注[ヌ]六国史といふ
いかにしたるにか、亡て傳はらず、今それとて廿卷あるは、全き物にあらず、然るに近き世、鴨ノ祐之といひし人、類聚國史をむねと取リ、かたはら他の正しき古書共をもとり加ハへて、日本逸史といふ物四十卷を撰定せる、後紀のかはりは、此書にてたれり、類聚國史は、六國史に記されたる諸の事を、部類を分ケ聚めて、菅原ノ大臣の撰玉へる書也、さて三代實錄の後は、正しき國史は無し、されば宇多ノ天皇よりこなたの御世々々の事は、たゞこれかれかたはらの書共を見てしること也、其書ども、國史のたぐひなるも、あまた有、近世水戶の大日本史は、神武天皇より、後小松ノ天皇の、後龜山ノ天皇の御禪を受させ給へる御事までしるされて、めでたき書也、御世々々の宣命には云々、書紀に擧られたる、御世々々の詔勅は、みな漢文なるのみなるを、續紀よりこなたの史共には、皇朝詞の詔をも、載せられたる、これを分て宣命といふ也、續紀なるは、世あがりたれば、殊に古語多し、その次次の史どもなる、やうやうに古き語はすくなくなりゆきて、漢詞おほくまじれり、
新字:いかにしたるにか、亡て伝はらず、今それとて廿巻あるは、全き物にあらず、然るに近き世、鴨ノ祐之といひし人、類聚国史をむねと取リ、かたはら他の正しき古書共をもとり加ハへて、日本逸史といふ物四十巻を撰定せる、後紀のかはりは、此書にてたれり、類聚国史は、六国史に記されたる諸の事を、部類を分ケ聚めて、菅原ノ大臣の撰玉へる書也、さて三代実録の後は、正しき国史は無し、されば宇多ノ天皇よりこなたの御世々々の事は、たゞこれかれかたはらの書共を見てしること也、其書ども、国史のたぐひなるも、あまた有、近世水戸の大日本史は、神武天皇より、後小松ノ天皇の、後亀山ノ天皇の御禅を受させ給へる御事までしるされて、めでたき書也、御世々々の宣命には云々、書紀に挙られたる、御世々々の詔勅は、みな漢文なるのみなるを、続紀よりこなたの史共には、皇朝詞の詔をも、載せられたる、これを分て宣命といふ也、続紀なるは、世あがりたれば、殊に古語多し、その次次の史どもなる、やうやうに古き語はすくなくなりゆきて、漢詞おほくまじれり、
書き下し
いかにしたるにか、亡て伝はらず、今それとて廿巻あるは、全き物にあらず、然るに近き世、鴨ノ祐之といひし人、類聚国史をむねと取リ、かたはら他の正しき古書共をもとり加ハへて、日本逸史といふ物四十巻を撰定せる、後紀のかはりは、此書にてたれり、類聚国史は、六国史に記されたる諸の事を、部類を分ケ聚めて、菅原ノ大臣の撰玉へる書也、さて三代実録の後は、正しき国史は無し、されば宇多ノ天皇よりこなたの御世々々の事は、たゞこれかれかたはらの書共を見てしること也、其書ども、国史のたぐひなるも、あまた有、近世水戸の大日本史は、神武天皇より、後小松ノ天皇の、後亀山ノ天皇の御禅を受させ給へる御事までしるされて、めでたき書也、御世々々の宣命には云々、書紀に挙られたる、御世々々の詔勅は、みな漢文なるのみなるを、続紀よりこなたの史共には、皇朝詞の詔をも、載せられたる、これを分て宣命といふ也、続紀なるは、世あがりたれば、殊に古語多し、その次次の史どもなる、やうやうに古き語はすくなくなりゆきて、漢詞おほくまじれり、
現代語訳
どうしたことか、失われて伝わらない。今それとして二十巻あるのは、完全なものではない。ところが近い世に、鴨祐之という人が『類聚国史』を主として取り、かたわら他の正しい古書どもをも取り加えて、『日本逸史』というもの四十巻を撰定した。『日本後紀』の代わりはこの書で足りる。『類聚国史』は、六国史に記されたさまざまな事を部類に分けて集めて、菅原の大臣(菅原道真)がお撰びになった書である。さて『三代実録』の後は正しい国史はない。だから宇多天皇以後の御代御代の事は、ただあれこれの傍らの書どもを見て知ることである。その書どもには国史の類のものも多くある。近世、水戸の『大日本史』は、神武天皇から、後小松天皇が後亀山天皇の御譲位をお受けになった御事までを記されていて、すばらしい書である。『御世々々の宣命には』云々について。『日本書紀』に挙げられた御代御代の詔勅はみな漢文ばかりであるが、『続日本紀』以後の史書には、皇朝の言葉の詔をも載せられている。これを区別して宣命というのである。『続日本紀』のものは時代が古いので、ことに古語が多い。その次々の史書のものは、次第に古い言葉は少なくなってゆき、漢語が多く混じっている。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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うひ山ぶみ・第二十九段まづ道をしるべき学びは、大抵上ノ件リの書ども也、然れども書紀より後の、次々の御代々々の事も、しらでは有べからず、其書どもは、続日本紀、次に日本後紀、つぎに続日本後紀、次に文徳実録、次に三代実録也、書紀よりこれまでを合せて六国史といふ、みな朝廷の正史なり、つぎつぎに必ズよむべし、
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うひ山ぶみ・注[チ]道をしらんためには、殊に古事記をさき多くいろは仮字をのみ用ひたるから、かゝる名目も有也、書紀をよむには大に心得あり云々、書紀は、朝廷の正史と立られて、御世々々万の事これによらせ給ひ、世々の学者も、これをむねと学ぶこと也、まことに古事記は、しるしざまは、いとめでたく尊けれども、神武天皇よりこなたの、御代々々の事をしるされたる、甚あらくすくなくして、広からず、審ならざるを、此紀は、広く詳にしるされたるほど、たぐひなく、いともたふとき御典也、此御典なくては、上古の事どもを、ひろく知べきよしなし、然はあれども、すべて漢文の潤色多ければ、これをよむに、はじめよりその心得なくてはあるべからず、然るを世間の神学者、此わきまへなくして、ただ文のまゝにこゝろえ、返て漢文の潤色の所を、よろこび尊みて、殊に心を用るほどに、すべての解し様、ことごとく漢流の理窟にして、いたく古ヘの意にたがへり、これらの事、大抵は古事記伝の首巻にしるせり、猶又別に、神代紀のうずの山蔭といふ物を書ていへり、ひらき見るべし、六国史といふ云々、六国史のうち日本後紀は、
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うひ山ぶみ・注[ル]御世々々の宣命にはすべて宣命にはかぎらず、何事にもせよ、からめきたるすぢをはなれて、皇国の上代めきたるすぢの事や詞は、いづれの書にあるをも、殊に心をとどめて見るべし、古ヘをしる助ケとなること也、釈日本紀、此書は後の物にて、説もすべてをさなけれども、今の世には伝はらぬ古書どもを、これかれと引出たる中に、いとめづらかに、たふときことどもの有也、諸国の風土記なども、みな今は伝はらざるに、此書と仙覚が万葉の抄とに、引出たる所々のみぞ、世にのこれる、これ殊に古学の用なり、又むかしの私記どもも、皆亡ぬるを、此釈には、多く其説をあげたり、私記の説も、すべてをさなけれども、古き故に、さすがに取ルべき事もまゝある也、さて六国史をはじめて、こゝに挙たる書共いづれも、板本も写本も、誤字脱文等多ければ、古本を得て、校正すべし、されど古本は、たやすく得がたきものなれば、まづ人の校正したる本を、求め借りてなりとも、つぎつぎ直すべき也、さて又ついでにいはむ、今の世は、古ヘをたふとみ好む人おほくなりぬるにつきては、
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うひ山ぶみ・第三十段又件の史どもの中に、御世々々の宣命には、ふるき意詞ののこりたれば、殊に心をつけて見るべし、
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うひ山ぶみ・注[ニ]主(ムネ)としてよるべきすぢは幸とも幸なれば、いかにも此たふとき皇国の道を学ぶべきは、勿論のこと也此道は、古事記書紀の二典に記されたる云々、道は此二典にしるされたる、神代のもろもろの事跡のうへに備はりたれども、儒仏などの書のやうに、其道のさまを、かやうかやうと、さして教へたることなければ、かの儒仏の書の目うつしにこれを見ては、道の趣、いかなるものともしりがたく、とらへどころなきが如くなる故に、むかしより世々の物しり人ども、これをえとらへず、さとらずして、或は仏道の意により、或は儒道の意にすがりて、これを説たり、其内昔の説は、多く仏道によりたりしを、百五六十年以来は、かの仏道によれる説の、非なることをばさとりて、其仏道の意をば、よくのぞきぬれども、その輩の説は、又皆儒道の意に落入て、近世の神学者流みな然也、其中にも流々有て、すこしづゝのかはりはあれども、大抵みな同じやうなる物にて、神代紀をはじめ、もろもろの神典のとりさばき、たゞ陰陽八卦五行など、すべてからめきたるさだのみにして、
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うひ山ぶみ・第三十一段次に延喜式、姓氏録、和名抄、貞観儀式、出雲国ノ風土記、釈日本紀、令、西宮記、北山抄、さては己が古事記伝など、おほかたこれら、古学の輩の、よく見ではかなはぬ書ども也、
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