うひ山ぶみ / 第二十五段
さてかの二典の内につきても、道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし、
書き下し
さてかの二典の内につきても、道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし、
現代語訳
さてあの二典のうちでも、道を知るためには、特に『古事記』を先にするべきである。
解説
『日本書紀』ではなく『古事記』を先に置け、という指示である。これは当時としては大きな主張だった。奥の注によれば、それまで学者が主に学んだのは『日本書紀』で、次に『旧事紀』が聖徳太子の撰として重んじられ、『古事記』はさほど尊ばれていなかった。宣長は『古事記』を、漢文の飾りを交えず古くからの伝説そのままに記した書として最上位に置き、その判断のもとに三十五年をかけて『古事記伝』四十四巻を書いた。何を主たる資料に据えるかという判断が、その後の学問の方向を決める。宣長の場合、その一つの判断が生涯の仕事を決定づけた。
この章句が説くこと
古事記一次資料古事記伝判断古学
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