うひ山ぶみ / 注[チ]道をしらんためには、殊に古事記をさき
上代の有さまをしるに、これにしく物なく、そのうへ神代の事も、書紀よりは、つぶさに多くしるされたれば、道をしる第一の古典にして、古學のともがらの、尤尊み學ぶべきは此書也、然るゆゑに、己、壯年より、數十年の間、心力をつくして、此記の傳四十四卷をあらはして、いにしへ學のしるべとせり、さて此記は、古傳說のまゝにしるせる書なるに、その文のなほ漢文ざまなるはいかにといふに、奈良の御代までは、假字文といふことはなかりし故に、書はおしなべて、漢文に書るならひなりき、そもそも文字書籍は、もと漢國より出たる物なれば、皇國に渡り來ても、その用ひやう、かの國にて物をしるす法のまゝにならひて書キそめたるにて、こゝとかしこと、語のふりはたがへることあれども、片假字も平假字もなき以前は、はじめよりのならひのまゝに、物はみな漢文に書たりし也、假字文といふ物は、いろは假字出來て後の事也、いろは假字は、今の京になりて後に、出來たり、されば古書のみな漢文なるは、古ヘののなべてのならひにこそあれ、
新字:上代の有さまをしるに、これにしく物なく、そのうへ神代の事も、書紀よりは、つぶさに多くしるされたれば、道をしる第一の古典にして、古学のともがらの、尤尊み学ぶべきは此書也、然るゆゑに、己、壮年より、数十年の間、心力をつくして、此記の伝四十四巻をあらはして、いにしへ学のしるべとせり、さて此記は、古伝説のまゝにしるせる書なるに、その文のなほ漢文ざまなるはいかにといふに、奈良の御代までは、仮字文といふことはなかりし故に、書はおしなべて、漢文に書るならひなりき、そもそも文字書籍は、もと漢国より出たる物なれば、皇国に渡り来ても、その用ひやう、かの国にて物をしるす法のまゝにならひて書キそめたるにて、こゝとかしこと、語のふりはたがへることあれども、片仮字も平仮字もなき以前は、はじめよりのならひのまゝに、物はみな漢文に書たりし也、仮字文といふ物は、いろは仮字出来て後の事也、いろは仮字は、今の京になりて後に、出来たり、されば古書のみな漢文なるは、古ヘののなべてのならひにこそあれ、
書き下し
上代の有さまをしるに、これにしく物なく、そのうへ神代の事も、書紀よりは、つぶさに多くしるされたれば、道をしる第一の古典にして、古学のともがらの、尤尊み学ぶべきは此書也、然るゆゑに、己、壮年より、数十年の間、心力をつくして、此記の伝四十四巻をあらはして、いにしへ学のしるべとせり、さて此記は、古伝説のまゝにしるせる書なるに、その文のなほ漢文ざまなるはいかにといふに、奈良の御代までは、仮字文といふことはなかりし故に、書はおしなべて、漢文に書るならひなりき、そもそも文字書籍は、もと漢国より出たる物なれば、皇国に渡り来ても、その用ひやう、かの国にて物をしるす法のまゝにならひて書キそめたるにて、こゝとかしこと、語のふりはたがへることあれども、片仮字も平仮字もなき以前は、はじめよりのならひのまゝに、物はみな漢文に書たりし也、仮字文といふ物は、いろは仮字出来て後の事也、いろは仮字は、今の京になりて後に、出来たり、されば古書のみな漢文なるは、古ヘのなべてのならひにこそあれ、
現代語訳
上代の有様を知るのに、これに及ぶものはなく、そのうえ神代の事も『日本書紀』よりは詳しく多く記されているので、道を知る第一の古典であって、古学の人々が最も尊んで学ぶべきはこの書である。そういうわけで、私は壮年から数十年の間、心力を尽くして、この記の伝(『古事記伝』)四十四巻を著して、古学の手引きとした。さてこの記は古い伝説のままに記した書であるのに、その文がやはり漢文風なのはどういうわけかというと、奈良の御代までは仮名文ということがなかったので、書物はおしなべて漢文で書く慣わしだったのである。そもそも文字や書籍は、もと中国から出たものなので、皇国に渡って来ても、その用い方は、あの国で物を記す方法のままに倣って書き始めたのであって、こちらとあちらとでは言葉の性質が違うことがあっても、片仮名も平仮名もない以前は、初めからの慣わしのままに、物はみな漢文で書いていたのである。仮名文というものは、いろは仮名ができて後の事である。いろは仮名は、今の京(平安京)になって後にできた。だから古書がみな漢文であるのは、古代の一般の慣わしなのであって、
解説
この章句が説くこと
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うひ山ぶみ・注[チ]道をしらんためには、殊に古事記をさき多くいろは仮字をのみ用ひたるから、かゝる名目も有也、書紀をよむには大に心得あり云々、書紀は、朝廷の正史と立られて、御世々々万の事これによらせ給ひ、世々の学者も、これをむねと学ぶこと也、まことに古事記は、しるしざまは、いとめでたく尊けれども、神武天皇よりこなたの、御代々々の事をしるされたる、甚あらくすくなくして、広からず、審ならざるを、此紀は、広く詳にしるされたるほど、たぐひなく、いともたふとき御典也、此御典なくては、上古の事どもを、ひろく知べきよしなし、然はあれども、すべて漢文の潤色多ければ、これをよむに、はじめよりその心得なくてはあるべからず、然るを世間の神学者、此わきまへなくして、ただ文のまゝにこゝろえ、返て漢文の潤色の所を、よろこび尊みて、殊に心を用るほどに、すべての解し様、ことごとく漢流の理窟にして、いたく古ヘの意にたがへり、これらの事、大抵は古事記伝の首巻にしるせり、猶又別に、神代紀のうずの山蔭といふ物を書ていへり、ひらき見るべし、六国史といふ云々、六国史のうち日本後紀は、
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うひ山ぶみ・第二十五段さてかの二典の内につきても、道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし、
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うひ山ぶみ・注[ト]第一に漢意儒意をたとへばものゝふの、戦場におもむくに、まづ具足をよくし、身をかためて立出るがごとし、もし此身の固めをよくせずして、神の御典をよむときは、甲冑をも着ず、素膚にして戦ひて、たちまち敵のために、手を負ふがごとく、かならずからごゝろに落入べし、道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし、まづ神典は、旧事紀古事記日本紀を、昔より、三部の本書といひて、其中に世の学者の学ぶところ、日本紀をむねとし、次に旧事紀は、聖徳太子の御撰として、これを用ひて、古事記をば、さのみたふとまず、深く心を用る人もなかりし也、然るに近き世に至りてやうやう、旧事紀は真の書にあらず、後の人の撰び成せる物なることをしりそめて、今はをさをさこれを用る人はなきやうになりて、古事記のたふときことをしれる人多くなれる、これ全く吾師ノ大人の教ヘによりて、学問の道大にひらけたるが故也、まことに古事記は、漢文のかざりをまじへたることなどなく、たゞ古ヘよりの伝説のまゝにて、記しざまいといとめでたく、
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うひ山ぶみ・注[チ]道をしらんためには、殊に古事記をさき後世のごとく、好みて漢文に書るにはあらず、さて歌は、殊に詞にあやをなして、一もじもたがへては、かなはぬ物なる故に、古書にもこれをば、別に仮字に書り、それも真仮字也、又祝詞宣命なども、詞をとゝのへかざりたる物にて、漢文ざまには書がたければ、これも別に書法有し也、然るを後世に至りては、片仮字平仮字といふ物あれば、万の事、皇国の語のまゝに、いかやうにも自由に、物はかゝるゝことなれば、古ヘのやうに、物を漢文に書べきことにはあらず、便よく正しき方をすてて、正しからず不便なるかたを用るは、いと愚也、上件の子細をわきまへざる人、古書のみな漢文なるを見て、今も物は漢文に書クをよきことと心得たるは、ひがこと也、然るに諸家の記録其外、つねの文書消息文などのたぐひは、なほ後世までも、みな漢文ざまに書クならひにて、これを男もじ男ぶみといひ、いろは仮字をば女もじ、仮字文をば、女ぶみとしもいふなるは、男はおのづからかの古ヘのならひのまゝに為来り、女は便にまかせて、
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うひ山ぶみ・注[ヲ]釈日本紀おのづからめづらしき古書の、世に埋れたるも、顕れ出る有リ、又それにつきては、偽書も多く出るを、その真偽は、よく見る人は、見分れども、初学の輩などは、え見分ねば、偽書によくはからるゝ事あり、心すべし、されば初学のほどは、めづらしき書を得んことをば、さのみ好むべからず、古事記伝云々、みづから著せる物を、かくやむことなき古書どもにならべて挙るは、おふけなく、つゝましくはおぼゆれども、上にいへるごとくにて、上代の事を、くはしく説示し、古学の心ばへを、つまびらかにいへる書は、外になければぞかし、されば同じくは此書も、二典とまじへて、はじめより見てよろしけれども、巻数多ければ、こゝへはまはしたる也、古学の輩の、古学とは、すべて後世の説にかゝはらず、何事も、古書によりて、その本を考へ、上代の事を、つまびらかに明らむる学問也、此学問、ちかき世に始まれり、契沖ほふし、歌書に限りてはあれど、此道すぢを開きそめたり、此人をぞ、此まなびのはじめの祖ともいひつべき、次にいさゝかおくれて羽倉ノ大人、
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うひ山ぶみ・注[ホ]此道は、古事記書紀の二典に記されたる吾はかくのごとく思ひとれる故に、吾家、すべて先祖の祀リ、供仏施僧のわざ等も、たゞ親の世より為来りたるまゝにて、世俗とかはる事なくして、たゞこれをおろそかならざらんとするのみ也、学者はたゞ、道を尋ねて明らめしるをこそ、つとめとすべけれ、私に道を行ふべきものにはあらず、されば随分に、古の道を考へ明らめて、そのむねを、人にもをしへさとし、物にも書キ遺しおきて、たとひ五百年千年の後にもあれ、時至りて、上にこれを用ひ行ひ給ひて、天下にしきほどこし給はん世をまつべし、これ宣長が志シ也、初学のともがらは宣長が著したる云々、神典には、世々の注釈末書あまたあるを、さしおきて、みづから著せる書を、まづよめといふは、大に私なるに似たれども、必然然すべき故あり、いで其故は、注釈末書は多しといへども、まづ釈日本紀などは、道の意を示し明したる事なく、私記の説といへども、すべていまだしくをさなき事のみ也、又その後々の末書注釈どもは、仏と儒との意にして、さらに古の意にあらず、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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