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うひ山ぶみ / 注[ホ]此道は、古事記書紀の二典に記されたる

多くかの國ざまに改められたるから、上古の式はうせて、世に傳はらざるが多ければ、そのさだかにこまかなることは、知リがたくなりぬる、いといと歎かはしきわざ也、たまたま片田舍などには、上古の式の殘れる事も有とおぼしけれども、それも猶佛家の事などのまじりて、正しく傳はれるは有がたかめり、そもそも道といふ物は、上に行ひ玉ひて、下へは、上より敷キ施し給ふものにこそあれ、下たる者の、私に定めおこなふものにはあらず、されば神學者などの、神道の行ひとて、世間に異なるわざをするは、たとひ上古の行ひにかなへること有といへども、今の世にしては道は天皇の天下を治めさせ給ふ、私なり、正大公共の道なるを、一己の私の物にして、みづから狹く小く說なして、たゞ巫覡などのわざのごとく、或はあやしきわざを行ひなどして、それを神道となのるは、いともいともあさましくかなしき事也、すべて下たる者は、よくてもあしくても、その時々の上の掟のまゝに、從ひ行ふぞ、卽チ古ヘの道の意には有ける、

新字:多くかの国ざまに改められたるから、上古の式はうせて、世に伝はらざるが多ければ、そのさだかにこまかなることは、知リがたくなりぬる、いといと嘆かはしきわざ也、たまたま片田舎などには、上古の式の残れる事も有とおぼしけれども、それも猶仏家の事などのまじりて、正しく伝はれるは有がたかめり、そもそも道といふ物は、上に行ひ玉ひて、下へは、上より敷キ施し給ふものにこそあれ、下たる者の、私に定めおこなふものにはあらず、されば神学者などの、神道の行ひとて、世間に異なるわざをするは、たとひ上古の行ひにかなへること有といへども、今の世にしては道は天皇の天下を治めさせ給ふ、私なり、正大公共の道なるを、一己の私の物にして、みづから狭く小く説なして、たゞ巫覡などのわざのごとく、或はあやしきわざを行ひなどして、それを神道となのるは、いともいともあさましくかなしき事也、すべて下たる者は、よくてもあしくても、その時々の上の掟のまゝに、従ひ行ふぞ、即チ古ヘの道の意には有ける、

書き下し

多くかの国ざまに改められたるから、上古の式はうせて、世に伝はらざるが多ければ、そのさだかにこまかなることは、知リがたくなりぬる、いといと歎かはしきわざ也、たまたま片田舎などには、上古の式の残れる事も有とおぼしけれども、それも猶仏家の事などのまじりて、正しく伝はれるは有がたかめり、そもそも道といふ物は、上に行ひ玉ひて、下へは、上より敷キ施し給ふものにこそあれ、下たる者の、私に定めおこなふものにはあらず、されば神学者などの、神道の行ひとて、世間に異なるわざをするは、たとひ上古の行ひにかなへること有といへども、今の世にしては私なり、道は天皇の天下を治めさせ給ふ、正大公共の道なるを、一己の私の物にして、みづから狭く小く説なして、たゞ巫覡などのわざのごとく、或はあやしきわざを行ひなどして、それを神道となのるは、いともいともあさましくかなしき事也、すべて下たる者は、よくてもあしくても、その時々の上の掟のまゝに、従ひ行ふぞ、即チ古ヘの道の意には有ける、

現代語訳

多くがあの国のやり方に改められたので、上古の式は失われて世に伝わらないものが多く、その確かで細かなことは知りがたくなってしまった。まことに嘆かわしいことである。たまたま片田舎などには上古の式が残っている事もあると思われるが、それもやはり仏家の事などが混じっていて、正しく伝わっているものはめったにないようである。そもそも道というものは、上に立つ方が行いなさって、下へは上から敷き施しなさるものであって、下にいる者が私に定めて行うものではない。だから神学者などが神道の行いといって世間と異なるわざをするのは、たとえ上古の行いにかなうことがあっても、今の世においては私である。道は天皇が天下をお治めになる正大公共の道であるのに、それを一個人の私物にして、自分で狭く小さく説きなして、ただ巫(かんなぎ)などのわざのように、あるいは怪しげなわざを行ったりして、それを神道と名乗るのは、まことにあさましく悲しいことである。総じて下にいる者は、良くても悪くても、その時々のお上の掟のままに従って行うことこそが、すなわち古代の道の意なのであった。

解説

ここで宣長の道の考え方の核心が出る。古代の式の多くは中国風に改められて失われ、田舎に残るものにも仏事が混じっている。だから今それを復元して行おうとしても確かなことは分からない。そもそも道とは上に立つ者が行い、上から下へ敷き施すものであって、下の者が私に定めて行うものではない。神学者が世間と違う作法を行うのは、たとえ上古にかなう部分があっても今の世では「私」であり、天皇が天下を治める正大公共の道を一個人の物に狭めることだ、と宣長は言う。良くても悪くても時の掟に従うのが古の道の意だというこの主張は、受け身に見えて、道を個人の思い込みから守ろうとする強い意志でもある。正しいと信じることを、私的な作法として振りかざしていないだろうか。

この章句が説くこと

道公共掟神道私

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