うひ山ぶみ / 第二十一段
そもそも此道は、天照大御神の道にして、天皇の天下をしろしめす道、四海萬國にゆきわたりたる、まことの道なるが、ひとり皇國に傳はれるを、其道は、いかなるさまの道ぞといふに、
新字:そもそも此道は、天照大御神の道にして、天皇の天下をしろしめす道、四海万国にゆきわたりたる、まことの道なるが、ひとり皇国に伝はれるを、其道は、いかなるさまの道ぞといふに、
書き下し
そもそも此道は、天照大御神の道にして、天皇の天下をしろしめす道、四海万国にゆきわたりたる、まことの道なるが、ひとり皇国に伝はれるを、其道は、いかなるさまの道ぞといふに、
現代語訳
そもそもこの道は天照大御神の道であって、天皇が天下を治められる道、四海万国に行き渡っている真の道であるが、ひとりわが国にのみ伝わっている。その道はどのようなさまの道かというと、
解説
宣長が「道」と呼ぶものの規定である。ここは宣長の学問がもつ宗教的・国家的な前提が最も直接に出る箇所で、後の時代に政治的な文脈で引かれてきた部分でもある。読むにあたっては、これが十八世紀の国学者の世界観の記述であること、そして宣長自身は次の段で、この道は理屈で説明されるものではなく古典の記述そのものの中にあると述べていることを押さえておきたい。宣長の力点は、道を何らかの理論で説明することではなく、『古事記』『日本書紀』を先入観なしに読むことに置かれている。規定そのものより、そこから導かれる読解の作法のほうが、この書の実質である。
この章句が説くこと
道古典前提国学時代背景
関連する章句
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老子 第1章道たる可く道も、常の道に非ず。名たる可く名づくるも、常の名に非ず。名無くして天地の始まり、名有りて萬物の母。故に常に欲無くして以てその妙を観、常に欲有りて以てその窮を観。此二つは、同じく出でて異なる名、同じく之を玄と謂う。玄の又玄、衆妙の門なり。
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孫子・始計篇道とは、民をして上と意を同じくし、之と死す可く、之と生く可くして、危きを畏れざらしむるなり。
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論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」
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孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
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論語・微子篇柳下恵、士師と為り、三たび黜けらる。人曰く、「子未だ以て去る可からざるか。」曰く、「道を直くして人に事うれば、焉くに往くとして三たび黜けられざらん。道を枉げて人に事うれば、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん。」
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論語・雍也篇子曰く、誰か能く出づるに戸に由らざらん。何ぞ斯の道に由ること莫きや。