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うひ山ぶみ / 注[ホ]此道は、古事記書紀の二典に記されたる

輩も又、神道とても、佛の道の外なることなし、一致也とぞいふべき、これら共に、おのおの其道に惑へるから、然思ふ也、まことの神道は、儒佛の敎ヘなどとは、いたく趣の異なる物にして、さらに一致なることなし、すべて近世の神學家は、件のごとくなれば、かの漢學者流の中の、宋學といふに似て、いさゝかもわきめをふらず、たゞ一すぢに道の事をのみ心がくめれども、ひたすら漢流の理窟にのみからめられて、古の意をば、尋ねんものとも思はず、其心を用るところ、みな儒意なれば、深く入ルほど、いよいよ道の意には遠き也、さて又かの佛の道によりて說るともがらは、その行法も、大かた佛家の行法にならひて、造れる物にして、さらに皇國の古ヘの行ひにあらず、又かの近世の儒意の神道家の、これこそ神道の行ひよとて、物する事共、葬喪祭祀等の式、其外も、世俗とかはりて、別に一種の式を立て行ふも、これ又儒意をまじへて、作れること多くして、全く古ヘの式にはあらず、すべて何事も、古ヘの御世に、漢風をしたひ用ひられて、

新字:輩も又、神道とても、仏の道の外なることなし、一致也とぞいふべき、これら共に、おのおの其道に惑へるから、然思ふ也、まことの神道は、儒仏の教ヘなどとは、いたく趣の異なる物にして、さらに一致なることなし、すべて近世の神学家は、件のごとくなれば、かの漢学者流の中の、宋学といふに似て、いさゝかもわきめをふらず、たゞ一すぢに道の事をのみ心がくめれども、ひたすら漢流の理窟にのみからめられて、古の意をば、尋ねんものとも思はず、其心を用るところ、みな儒意なれば、深く入ルほど、いよいよ道の意には遠き也、さて又かの仏の道によりて説るともがらは、その行法も、大かた仏家の行法にならひて、造れる物にして、さらに皇国の古ヘの行ひにあらず、又かの近世の儒意の神道家の、これこそ神道の行ひよとて、物する事共、葬喪祭祀等の式、其外も、世俗とかはりて、別に一種の式を立て行ふも、これ又儒意をまじへて、作れること多くして、全く古ヘの式にはあらず、すべて何事も、古ヘの御世に、漢風をしたひ用ひられて、

書き下し

輩も又、神道とても、仏の道の外なることなし、一致也とぞいふべき、これら共に、おのおの其道に惑へるから、然思ふ也、まことの神道は、儒仏の教ヘなどとは、いたく趣の異なる物にして、さらに一致なることなし、すべて近世の神学家は、件のごとくなれば、かの漢学者流の中の、宋学といふに似て、いさゝかもわきめをふらず、たゞ一すぢに道の事をのみ心がくめれども、ひたすら漢流の理窟にのみからめられて、古の意をば、尋ねんものとも思はず、其心を用るところ、みな儒意なれば、深く入ルほど、いよいよ道の意には遠き也、さて又かの仏の道によりて説るともがらは、その行法も、大かた仏家の行法にならひて、造れる物にして、さらに皇国の古ヘの行ひにあらず、又かの近世の儒意の神道家の、これこそ神道の行ひよとて、物する事共、葬喪祭祀等の式、其外も、世俗とかはりて、別に一種の式を立て行ふも、これ又儒意をまじへて、作れること多くして、全く古ヘの式にはあらず、すべて何事も、古ヘの御世に、漢風をしたひ用ひられて、

現代語訳

人々もまた、「神道といっても仏の道の外にあるものではない、一致である」と言うであろう。これらはともに、それぞれ自分の道に惑っているから、そう思うのである。真の神道は、儒仏の教えなどとはたいへん趣の異なるものであって、決して一致するものではない。総じて近世の神学家は上に述べたとおりなので、あの漢学者流の中の宋学というものに似て、少しもわき目をふらず、ただ一筋に道の事だけを心がけているようであるが、ひたすら中国流の理屈にばかりからめ取られて、古の意を尋ねようとも思わず、その心を用いるところがみな儒の意なので、深く入るほどいよいよ道の意からは遠ざかるのである。さてまた、あの仏の道に拠って説く人々は、その行法も、おおかた仏家の行法にならって作ったものであって、決して皇国の古代の行いではない。また近世の儒意の神道家が、これこそ神道の行いだとして行う事柄、葬喪・祭祀などの式その他も、世俗とは変えて別に一種の式を立てて行うのも、これまた儒意を交えて作ったことが多く、まったく古代の式ではない。総じて何事も、古代の御代に中国風を慕って用いられて、

解説

宣長は、神仏一致を唱える者も神儒一致を唱える者も、それぞれ自分の道に惑っているのだと断じ、真の神道は儒仏の教えと趣がまったく異なり、一致するところはないと言い切る。近世の神道家は宋学(朱子学)のように一筋に道を求めるが、中国流の理屈にからめ取られているので、深く入るほど道から遠ざかるという。熱心さがかえって誤りを深めるという逆説である。批判は説だけでなく行いにも及ぶ。仏家の行法をまねた作法も、儒意の神道家が世俗と違えて立てた葬祭の式も、古代の式ではないとする。宣長が求めるのは、後から作られた体系ではなく、古代にあった姿そのものである。熱心に取り組んでいることが、出発点の誤りを深める方向に働いていないだろうか。

この章句が説くこと

神道宋学儒意神仏一致古学

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