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慎思録 / 巻之六

古來本邦文學之士。往往喜作爲於詩文。其工夫甚苦。然其文字雖多。不似中華之作。無作文之法度者多矣。可惜做箇無益閑勞擾。枉費心力也。若果有欲求道之志。斷不到此。

新字:古来本邦文学之士。往往喜作為於詩文。其工夫甚苦。然其文字雖多。不似中華之作。無作文之法度者多矣。可惜做箇無益閑労擾。枉費心力也。若果有欲求道之志。断不到此。

書き下し

古来本邦の文学の士、往往詩文を作為することを喜ぶ。其の工夫甚だ苦し。然れども其の文字多しと雖も、中華の作に似ず、作文の法度無き者多し。惜しむべし、箇の無益の閑労擾を做し、枉げて心力を費やすことを。若し果たして道を求むるの志有らば、断じて此に到らじ。

現代語訳

昔から日本の学問のある人たちは、しばしば詩文を作ることを喜びます。その工夫はたいへん苦しいものです。しかし文字は多くても、中国の作には似ず、作文の法則を持たないものが多いのです。惜しいことに、無益で閑な苦労をして、むだに心力を費やしています。もし本当に道を求める志があるなら、決してここまで至らないでしょう。

解説

日本の文人が漢詩文の制作に苦心しても本場の作には及ばず、道を求める志があるならそこに力を費やさないはずだと述べた条です。江戸時代前期は漢詩文が武士や学者の教養として盛んになった時期です。益軒は詩文の技巧より、経書を読み道を実践することを重んじ、自らは平易な和文の著作に力を注ぎました。努力の方向が目的に合っているかを問う言葉です。苦労の量ではなく、それが自分の本当の目的につながっているかが大切です。

この章句が説くこと

学問詩文努力

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