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うひ山ぶみ / 注[ニ]主ムネとしてよるべきすぢは

幸とも幸なれば、いかにも此たふとき皇國の道を學ぶべきは、勿論のこと也也此道は、古事記書紀の二典に記されたる云々、道は此二典にしるされたる、神代のもろもろの事跡のうへに備はりたれども、儒佛などの書のやうに、其道のさまを、かやうかやうと、さして敎へたることなければ、かの儒佛の書の目うつしにこれを見ては、道の趣、いかなるものともしりがたく、とらへどころなきが如くなる故に、むかしより世々の物しり人よも、これをえとらへず、さとらずして、或は佛道の意により、或は儒道の意にすがりて、これを說たり、其內昔の說は、多く佛道によりたりしを、百五六十年以來は、かの佛道によれる說の、非なることをばさとりて、其佛道の意をば、よくのぞきぬれども、その輩の說は、又皆儒道の意に落入て、近世の神學者流みな然也、其中にも流々有て、すこしづゝのかはりはあれども、大抵みな同じやうなる物にて、神代紀をはじめ、もろもろの神典のとりさばき、たゞ陰陽八卦五行など、すべてからめきたるさだのみにして、

新字:幸とも幸なれば、いかにも此たふとき皇国の道を学ぶべきは、勿論のこと也也此道は、古事記書紀の二典に記されたる云々、道は此二典にしるされたる、神代のもろもろの事跡のうへに備はりたれども、儒仏などの書のやうに、其道のさまを、かやうかやうと、さして教へたることなければ、かの儒仏の書の目うつしにこれを見ては、道の趣、いかなるものともしりがたく、とらへどころなきが如くなる故に、むかしより世々の物しり人よも、これをえとらへず、さとらずして、或は仏道の意により、或は儒道の意にすがりて、これを説たり、其内昔の説は、多く仏道によりたりしを、百五六十年以来は、かの仏道によれる説の、非なることをばさとりて、其仏道の意をば、よくのぞきぬれども、その輩の説は、又皆儒道の意に落入て、近世の神学者流みな然也、其中にも流々有て、すこしづゝのかはりはあれども、大抵みな同じやうなる物にて、神代紀をはじめ、もろもろの神典のとりさばき、たゞ陰陽八卦五行など、すべてからめきたるさだのみにして、

書き下し

幸とも幸なれば、いかにも此たふとき皇国の道を学ぶべきは、勿論のこと也此道は、古事記書紀の二典に記されたる云々、道は此二典にしるされたる、神代のもろもろの事跡のうへに備はりたれども、儒仏などの書のやうに、其道のさまを、かやうかやうと、さして教へたることなければ、かの儒仏の書の目うつしにこれを見ては、道の趣、いかなるものともしりがたく、とらへどころなきが如くなる故に、むかしより世々の物しり人ども、これをえとらへず、さとらずして、或は仏道の意により、或は儒道の意にすがりて、これを説たり、其内昔の説は、多く仏道によりたりしを、百五六十年以来は、かの仏道によれる説の、非なることをばさとりて、其仏道の意をば、よくのぞきぬれども、その輩の説は、又皆儒道の意に落入て、近世の神学者流みな然也、其中にも流々有て、すこしづゝのかはりはあれども、大抵みな同じやうなる物にて、神代紀をはじめ、もろもろの神典のとりさばき、たゞ陰陽八卦五行など、すべてからめきたるさだのみにして、

現代語訳

幸いの上の幸いであるから、何としてもこの尊い皇国の道を学ぶべきなのは言うまでもない。『此道は、古事記書紀の二典に記されたる』云々について。道はこの二典に記された神代のさまざまな事跡の上に備わっているけれども、儒教や仏教の書のように、その道の有様をこうこうと指して教えたことがないので、あの儒仏の書を見慣れた目でこれを見ると、道の趣がどのようなものとも知りがたく、とらえどころがないようであるために、昔から代々の物知り人たちも、これをとらえることができず、悟らずに、あるいは仏道の意に拠り、あるいは儒道の意にすがって、これを説いてきた。そのうち昔の説は多く仏道に拠っていたが、この百五、六十年来は、仏道に拠った説が誤りであることを悟って、その仏道の意をよく取り除いたけれども、その人々の説はまたみな儒道の意に落ち込んでおり、近世の神学者の流派はみなそうである。その中にも流派があって少しずつ違いはあるが、おおよそはみな同じようなもので、『日本書紀』神代巻をはじめ、さまざまな神典の取り扱いは、ただ陰陽・八卦・五行など、すべて中国風の議論ばかりで、

解説

注[ホ]は本文の「此道は、古事記書紀の二典に記されたる」を掘り下げる。宣長によれば、道は神代の事跡そのものの上に備わっていて、儒仏の書のように「道とはこれこれである」と教えの形では書かれていない。そのため儒仏の書に慣れた目で読むと、とらえどころがないように見える。そこで古来の学者は仏教の理屈で神典を説き、この百五、六十年は仏教臭さを除いたものの、今度は陰陽・八卦・五行といった儒学の枠組みで説くようになった。一つの色眼鏡を外したつもりで別の色眼鏡を掛けている、という指摘は厳しい。教えが明文で示されないとき、人は手持ちの理論で空白を埋めたくなる。その埋め方こそが誤りの元ではないか。

この章句が説くこと

古事記日本書紀漢意神道儒仏

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