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文武訓 / 文訓下

一文學ひろく、聖賢の書をあまねく讀んでも、道を知らざる人古今多し。斯くひろく聖賢の書を讀んでは、道を知るべくして知らざるは、志なく聰明なきゆゑなり。文學に通ぜず、聖賢の書を多く讀まずして、道を知れらん人は古今これなし。是道理のなき所なり。舟橋なくして海河をわたり、梯なくして高きに登らんとするが如し。近世、種の學問文學をせずして、聖學をせんとするも、文學して義理を知らざるも同じ。たとへば歌學をせずして、和歌のあしき人はあり。歌學なくしてうたよく詠む人はなきが如し。但學問なく、すこし師の口傳をきゝて、頗心ををさめんとする人あり。是亦聽かざるに遙にまされり。稊稗の熟するは、五穀の熟せざるにまされるが如し。

新字:一文学ひろく、聖賢の書をあまねく読んでも、道を知らざる人古今多し。斯くひろく聖賢の書を読んでは、道を知るべくして知らざるは、志なく聰明なきゆゑなり。文学に通ぜず、聖賢の書を多く読まずして、道を知れらん人は古今これなし。是道理のなき所なり。舟橋なくして海河をわたり、梯なくして高きに登らんとするが如し。近世、種の学問文学をせずして、聖学をせんとするも、文学して義理を知らざるも同じ。たとへば歌学をせずして、和歌のあしき人はあり。歌学なくしてうたよく詠む人はなきが如し。但学問なく、すこし師の口伝をきゝて、頗心ををさめんとする人あり。是亦聴かざるに遥にまされり。稊稗の熟するは、五穀の熟せざるにまされるが如し。

書き下し

一文学ひろく、聖賢の書をあまねく読んでも、道を知らざる人古今多し。斯くひろく聖賢の書を読んでは、道を知るべくして知らざるは、志なく聰明なきゆゑなり。文学に通ぜず、聖賢の書を多く読まずして、道を知れらん人は古今これなし。是道理のなき所なり。舟橋なくして海河をわたり、梯なくして高きに登らんとするが如し。近世、種の学問文学をせずして、聖学をせんとするも、文学して義理を知らざるも同じ。たとへば歌学をせずして、和歌のあしき人はあり。歌学なくしてうたよく詠む人はなきが如し。但学問なく、すこし師の口伝をききて、頗心ををさめんとする人あり。是亦聴かざるに遥にまされり。稊稗の熟するは、五穀の熟せざるにまされるが如し。

現代語訳

学問が広く、聖賢の書をあまねく読んでも、道を知らない人は古今に多いのです。このように広く聖賢の書を読んで、道を知るはずなのに知らないのは、志がなく聡明がないからです。学問に通ぜず、聖賢の書を多く読まずに道を知った人は、古今にありません。それは道理のないことです。舟や橋なしに海や川を渡り、はしごなしに高い所へ登ろうとするようなものです。近世、ある種の、学問をせずに聖学をしようとする者も、学問をして義理を知らない者と同じです。たとえば、歌学をしても和歌の下手な人はいますが、歌学なしに歌をよく詠む人はいないようなものです。ただし、学問はなくても、少し師の口伝を聞いて、かなり心を治めようとする人がいます。これもまた聞かないよりははるかにまさっています。稊や稗が実るのは、五穀が実らないのにまさるようなものです。

解説

広く読んでも道を知らない人はいるが、読まずに道を知った人は古今にいないと述べ、学問は舟橋やはしごのように道に至る不可欠の手段だと説きます。歌学があっても下手な人はいるが歌学なしに上手な人はいない、という比喩も明快です。末尾の稊稗と五穀は『孟子』告子上の「五穀は種の美なる者なり、苟も熟せずんば荑稗に如かず」を踏まえ、口伝だけの学びにも一定の価値を認めています。今でも、努力は必ず報われるとは限らないが、努力なしの成功はない、という教えに通じます。

この章句が説くこと

学問道読書志孟子

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