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うひ山ぶみ / 本文

上ノ件ところどころ、圈の內に、かたかなをもてしるししたるは、いはゆる相じるしにて、その件リ々にいへることの、然る子細を、又奥に別にくはしく論ひさとしたるを、そこはこゝと、たづねとめて、しらしめん料のしるし也、世に物まなびのすぢしなじな有て云々、物學とは、皇朝の學問をいふ、そもそもむかしより、たゞ學問とのみいへば、漢學のことなる故に、その學と分むために、皇國の事の學をば、和學或は國學などいふならひなれども、そはいたくわろきいひざま也、みづからの國のことなれば、皇國の學をこそ、たゞ學問とはいひて、漢學をこそ、分て漢學といふべきことなれ、それももし漢學のこととまじへいひて、まぎるゝところにては、皇朝學などはいひもすべきを、うちまかせてつねに、和學國學などいふは、皇國を外にしたるいひやう也、もろこし朝鮮於蘭陀などの異國よりこそ、さやうにもいふべきことなれ、みづから吾國のことを、然いふべきよしなし、すべてもろこしは、外の國にて、かの國の事は、何事もみな外の國の事なれば、

新字:上ノ件ところどころ、圏の内に、かたかなをもてしるししたるは、いはゆる相じるしにて、その件リ々にいへることの、然る子細を、又奥に別にくはしく論ひさとしたるを、そこはこゝと、たづねとめて、しらしめん料のしるし也、世に物まなびのすぢしなじな有て云々、物学とは、皇朝の学問をいふ、そもそもむかしより、たゞ学問とのみいへば、漢学のことなる故に、その学と分むために、皇国の事の学をば、和学或は国学などいふならひなれども、そはいたくわろきいひざま也、みづからの国のことなれば、皇国の学をこそ、たゞ学問とはいひて、漢学をこそ、分て漢学といふべきことなれ、それももし漢学のこととまじへいひて、まぎるゝところにては、皇朝学などはいひもすべきを、うちまかせてつねに、和学国学などいふは、皇国を外にしたるいひやう也、もろこし朝鮮於蘭陀などの異国よりこそ、さやうにもいふべきことなれ、みづから吾国のことを、然いふべきよしなし、すべてもろこしは、外の国にて、かの国の事は、何事もみな外の国の事なれば、

書き下し

上ノ件ところどころ、圏の内に、かたかなをもてしるししたるは、いはゆる相じるしにて、その件リ々にいへることの、然る子細を、又奥に別にくはしく論ひさとしたるを、そこはこゝと、たづねとめて、しらしめん料のしるし也、世に物まなびのすぢしなじな有て云々、物学とは、皇朝の学問をいふ、そもそもむかしより、たゞ学問とのみいへば、漢学のことなる故に、その学と分むために、皇国の事の学をば、和学或は国学などいふならひなれども、そはいたくわろきいひざま也、みづからの国のことなれば、皇国の学をこそ、たゞ学問とはいひて、漢学をこそ、分て漢学といふべきことなれ、それももし漢学のこととまじへいひて、まぎるゝところにては、皇朝学などはいひもすべきを、うちまかせてつねに、和学国学などいふは、皇国を外にしたるいひやう也、もろこし朝鮮於蘭陀などの異国よりこそ、さやうにもいふべきことなれ、みづから吾国のことを、然いふべきよしなし、すべてもろこしは、外の国にて、かの国の事は、何事もみな外の国の事なれば、

現代語訳

上の条のところどころに、圏点の中に片仮名で記したのは、いわゆる合印であって、その条々で述べたことの詳しい事情を、また後ろに別に詳しく論じて諭しておいたのを、どこがどこに当たるかと尋ね当てて知らせるための印である。『世に物まなびのすぢしなじな有て』云々について。物学とは、わが皇朝の学問をいう。そもそも昔から、ただ「学問」とだけいえば漢学のことであったため、それと区別するために、わが国の事柄の学問を和学あるいは国学などと呼ぶ慣わしであるが、それははなはだよくない言い方である。自分の国のことなのだから、皇国の学問をこそただ「学問」と呼び、漢学のほうをこそ区別して「漢学」と呼ぶべきである。それも、もし漢学のことと交えて言い、紛らわしい場面では、皇朝学などと言ってもよいが、何の気なしにいつも和学・国学などと言うのは、皇国を外側に置いた言い方である。中国(もろこし)・朝鮮・オランダなどの外国からこそ、そのようにも言うべきことであって、自分から自国のことをそう言ういわれはない。総じて中国は外の国であって、その国の事は何事もみな外の国の事なのだから、

解説

『うひ山ぶみ』の本文には、ところどころに[イ][ロ]といった片仮名の合印が付いており、宣長は本文の後にそれぞれの詳しい注を置いた。この注は本文よりも長く、宣長の考えがいっそう率直に出ている。最初の注[イ]は冒頭の「世に物まなびのすぢ」を取り上げ、自国の学問を「和学」「国学」と呼ぶ慣わしを厳しく退ける。自分の国の学問こそただ「学問」と呼ぶべきで、区別して名を付けるべきは漢学のほうだというのである。千年来、漢学を学問の本流としてきた日本の知識人の意識そのものを問い直す主張であり、呼び名の問題を入口にして、どこに立って学ぶのかという足場を定めようとしている。自分が学ぶ対象を、知らず知らず外から眺める言葉で呼んでいないだろうか。

この章句が説くこと

学問国学和学漢学呼び名

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