説苑 / 建本
子思曰:學所以益才也,礪所以致刃也,吾嘗幽處而深思,不若學之速;吾嘗跂而望,不若登高之博見。故順風而呼,聲不加疾而聞者眾;登丘而招,臂不加長而見者遠。故魚乘於水,鳥乘於風,草木乘於時。
新字:子思曰:学所以益才也,礪所以致刃也,吾嘗幽処而深思,不若学之速;吾嘗跂而望,不若登高之博見。故順風而呼,声不加疾而聞者衆;登丘而招,臂不加長而見者遠。故魚乗於水,鳥乗於風,草木乗於時。
書き下し
子思曰わく、学は才を益す所以なり、礪は刃を致す所以なり。吾嘗て幽処して深く思うも、学の速やかなるに若かず。吾嘗て跂ちて望むも、高きに登りて博く見るに若かず。故に風に順いて呼べば、声疾しきを加えざれども聞く者衆し。丘に登りて招けば、臂長きを加えざれども見る者遠し。故に魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時に乗る。
現代語訳
子思は言った。学問は才能を伸ばすためのものであり、砥石は刃を鋭くするためのものである。私はかつて静かな場所にこもって深く思索したこともあるが、それは学ぶことの速やかさには及ばなかった。かつて爪先立って遠くを望んだこともあるが、それは高い所に登って広く見渡すことには及ばなかった。だから風に乗って呼べば、声を強めなくても聞く者は多くなり、丘に登って手招きすれば、腕を長くしなくても見る者は遠くまで及ぶ。だから魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時節に乗って育つのである。
解説
独力での深い思索や背伸びした努力よりも、正しい方法や環境を選ぶことの方がはるかに効果的だという、極めて実践的な教えである。「風に乗る」「高きに登る」という比喩は、才能や努力そのものよりも、それをどう活かす場に身を置くかという戦略の重要性を示す。現代の学びやキャリア形成においても、闇雲に努力量を増やすより、良い師や環境、時流という「乗るべきもの」を見極める方が、結果への近道になることは多い。個人の孤独な奮闘を美化しがちな風潮への、静かな異議申し立てとも読める。

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