歎異抄 / 第十二条
経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
書き下し
経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
現代語訳
経典や注釈を読み学ばない者は、往生が定まらないということ。この件は、まったく取るに足りない言い分だと言うべきである。他力真実の趣旨を明らかにしている数々の聖なる教えは、本願を信じて念仏を申せば仏になる、と説いているのであって、その他にどんな学問が往生に必要だというのか。まことにこの道理に迷っている人は、いくらでも学問して本願の趣旨を知るべきである。経典や注釈を読み学んでいても、聖教の本意を心得ていないのは、もっとも気の毒なことである。
解説
知識や勉強が多いほど信仰も深まるはずだ、という思い込みへの反論がここから始まる。学問そのものを否定しているのではなく、学ぶことの目的を見失い、知識の量そのものを競うような態度が問題視されている。何かを深く理解することと、その理解量を誇ることとは別物だという、学びに向かうすべての人への示唆である。肩書きや資格の有無にかかわらず、本願を信じて日々を生きる姿勢そのものに価値があるという視点でもある。
この章句が説くこと
学問往生不定本意
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