玉勝間 / わがをしへ子にいましめおくやう
吾にしたがひて物まなばむともがらも、わが後に、又善き考へのいできたらむには、必ずわが說にななづみそ。わが惡しき故を云ひて、善き考へをひろめよ。すべておのが人を教ふるは、道を明らかにせむとなれば、かにもかくにも、道をあきらかにせむぞ、吾を用ふるには有ける。道を思はで、いたづらにわれをたふとまんは、わが心にあらざるぞかし。
新字:吾にしたがひて物まなばむともがらも、わが後に、又善き考へのいできたらむには、必ずわが説にななづみそ。わが悪しき故を云ひて、善き考へをひろめよ。すべておのが人を教ふるは、道を明らかにせむとなれば、かにもかくにも、道をあきらかにせむぞ、吾を用ふるには有ける。道を思はで、いたづらにわれをたふとまんは、わが心にあらざるぞかし。
書き下し
吾に従いて物まなばむともがらも、わが後に、また善き考えのいできたらむには、必ずわが説にななづみそ。わが悪しき故を云いて、善き考えをひろめよ。すべておのが人を教うるは、道を明らかにせむとなれば、かにもかくにも、道をあきらかにせむぞ、吾を用うるには有りける。道を思わで、いたづらにわれを尊まんは、わが心にあらざるぞかし。
現代語訳
私に従って学ぶ者たちも、私の後に、もっと良い考えが出てきたなら、決して私の説にこだわってはならない。私の説の悪いところを言って、良い考えを広めなさい。そもそも私が人を教えるのは、道を明らかにしたいからなのだから、どうであれ道を明らかにすることこそが、私を活かすことなのだ。道のことを思わず、いたずらに私を尊ぶだけなら、それは私の望むところではない。
解説
玉勝間で最もよく引かれる一段である。師の説にこだわるな、私の説の悪いところを言え、と宣長自身が弟子に言い置いた。理由が明快で、教えるのは道を明らかにするためであって、自分を尊ばせるためではない。だから師を立てて道を曇らせるのは、師の望みに反する。学問の継承を、教義の保存ではなく更新として設計している。宣長には別に「師の説になづまざる事」という一段もあり、そこでは自分の師である賀茂真淵の説にも従わなかったことを述べている。自分がしたことを弟子にも許す、という筋が通っている。
この章句が説くこと
わが説にななづみそ師の説に泥まず道を明らかにす学問の更新教育師弟
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『玉勝間』あがたゐのうしは古学の親なる事からごころをきよく離れて、もはら古のこころ詞をたづぬるがくもんは、わが縣居の大人よりぞはじまりける。この大人の学の、いまだ興らざりしほどの世の学問は、歌もただ古今集よりこなたにのみとどまりて、万葉などは、ただいと物どおく、心も及ばぬ物として、さらにその歌の善き悪しきを思い、古き近きをわきまえ、又その詞を、今のおのが物としてつかう事などは、すべて思いも及ばざりし事なるを、今はその古言をおのがものとして、万葉ぶりの歌をも詠み出で、古ぶりの文などをさえ、書きうることとなれるは、もはらこの大人の教えのいさをにぞ有りける。今の人は、ただおのれみづから得たるごと思うめれど、みなこの大人の御蔭によらずと云うこと無し。また古事記・書紀などの、漢意にまどわされず、まづもはら古言を明らめ、古意によるべきことを、人みな知れるも、この大人の万葉の教えのみたまにぞ有りける。
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『玉勝間』書を読むは長き旅路を行くが如し書を読むは、長き旅路を行くが如し。面白からぬ所も多かるを経行きては、また面白く目さむるここちする浦山にもいたるなり。また足つよき人は、早く、よわきは行く事おそきも、よく似たりとぞ云いける。おかしき譬えなりかし。
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『玉勝間』がくもん世の中に学問と云うは、からぶみ学びの事にて、皇国の古をまなぶをば、分けて神学・倭学・国学など云うなるは、例のから国をむねとして、御国をかたわらに成せる云いざまにて、いといとあるまじきことなれども、古はただからぶみ学びのみこそ有りけれ、御国の学びとては、もはらとする者は無かりしかば、おのづから然か云いならうべき勢いなり。しかは有れども、近き世となりては、皇国のをもはらとするともがらも多かれば、からぶみ学びをば、分けて漢学・儒学と云いて、この皇国のをこそ、うけばりてただに学問とは云うべきなれ。仏学なども、他よりは分けて仏学と云えども、法師のともは、それをなむただに学問とは云いて、仏学とは云わざる、これ然るべきことわりなり。
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うひ山ぶみ・第十一段又いづれのしなにもせよ、学びやうの次第も、一トわたりの理によりて、云々してよろしと、さして教へんは、やすきことなれども、そのさして教へたるごとくにして、果してよきものならんや、又思ひの外にさてはあしき物ならんや、実にはしりがたきことなれば、これもしひては定めがたきわざにて、実はたゞ其人の心まかせにしてよき也、
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