古事記 / 序・三巻の区分と奏上
故天御中主神以下。日子波限建鵜草葺不合尊以前。爲上卷。神倭伊波禮毘古天皇以下。品陀御世以前。爲中卷。大雀皇帝以下。小治田大宮以前。爲下卷。并錄三卷。謹以獻上。臣安萬侶。誠惶誠恐頓首頓首。和銅五年正月二十八日正五位上勳五等太朝臣安萬侶謹上。
新字:故天御中主神以下。日子波限建鵜草葺不合尊以前。為上巻。神倭伊波礼毘古天皇以下。品陀御世以前。為中巻。大雀皇帝以下。小治田大宮以前。為下巻。并録三巻。謹以献上。臣安万侶。誠惶誠恐頓首頓首。和銅五年正月二十八日正五位上勲五等太朝臣安万侶謹上。
書き下し
故、天御中主神以下、日子波限建鵜草葺不合尊以前を上巻とし、神倭伊波礼毘古天皇以下、品陀の御世以前を中巻とし、大雀皇帝以下、小治田大宮以前を下巻とし、并せて三巻を録して、謹みて以て献上る。臣安萬侶、誠に惶れ誠に恐み、頓首頓首。和銅五年正月二十八日、正五位上勲五等太朝臣安萬侶、謹みて上る。
現代語訳
そこで、天之御中主神から日子波限建鵜草葺不合尊までを上巻とし、神倭伊波礼毘古天皇(神武天皇)から品陀の御世(応神天皇)までを中巻とし、大雀皇帝(仁徳天皇)から小治田の大宮(推古天皇)までを下巻として、あわせて三巻を記録し、謹んで献上いたします。臣、安萬侶は、まことに恐れかしこみ、頓首頓首いたします。和銅五年正月二十八日、正五位上勲五等太朝臣安萬侶、謹んで奉ります。
解説
序文の結びで、全体が上・中・下の三巻に分けられること、そして和銅五年正月二十八日に献上されたことが記されます。上巻は神々の時代、中巻は神武から応神まで、下巻は仁徳から推古までと、神話から歴史へ移る構成が明示されています。長大な内容を三つの区切りで示すことは、読む人が全体像をつかむ助けになります。また献上の言葉には、命を受けた者が成果を恐れ慎んで上に差し出す作法が表れています。組織でも、仕事は区切って構造を示し、完成を報告するまでが任務だと教えられます。
この章句が説くこと
三巻構成上巻中巻下巻和銅五年献上太安万侶構成の明示
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