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古事記 / 序・天武天皇と稗田阿礼

然天時未臻。蟬蛻於南山。人事共洽。虎步於東國。皇輿忽駕。凌渡山川。六師雷震。三軍電逝。杖矛擧威。猛士烟起。絳旗耀兵。凶徒瓦解。未移浹辰。氣診自清。乃放牛息馬。愷悌歸於華夏。卷旌戢戈。儛詠停於都邑。歲次大梁。月踵夾鍾。清原大宮。昇即天位。道軼軒后。德跨周王。握乾符而摠六合。得天統而包八荒。乘二氣之正。齊五行之序。設神理以獎俗。敷英風以弘國。重加。智海浩瀚。潭探上古。心鏡煒煌。明覩先代。於是。天皇詔之。朕聞。諸家之所賷。帝紀及本辭。既違正實。多加虛僞。當今之時。不改其失。未經幾年。其旨欲滅。斯乃邦家之經緯。王化之鴻基焉。故惟撰錄帝紀。討覈舊辭。削僞定實。欲流後葉。時有舍人。姓稗田。名阿禮。年是廿八。爲人聰明。度目誦口。拂耳勒心。即勅語阿禮。令誦習帝皇日繼及先代舊辭。

新字:然天時未臻。蝉蛻於南山。人事共洽。虎歩於東国。皇輿忽駕。凌渡山川。六師雷震。三軍電逝。杖矛挙威。猛士烟起。絳旗耀兵。凶徒瓦解。未移浹辰。気診自清。乃放牛息馬。愷悌帰於華夏。巻旌戢戈。儛詠停於都邑。歳次大梁。月踵夾鍾。清原大宮。昇即天位。道軼軒后。徳跨周王。握乾符而摠六合。得天統而包八荒。乗二気之正。斉五行之序。設神理以獎俗。敷英風以弘国。重加。智海浩瀚。潭探上古。心鏡煒煌。明睹先代。於是。天皇詔之。朕聞。諸家之所賷。帝紀及本辞。既違正実。多加虚偽。当今之時。不改其失。未経幾年。其旨欲滅。斯乃邦家之経緯。王化之鴻基焉。故惟撰録帝紀。討覈旧辞。削偽定実。欲流後葉。時有舎人。姓稗田。名阿礼。年是廿八。為人聰明。度目誦口。払耳勒心。即勅語阿礼。令誦習帝皇日継及先代旧辞。

書き下し

然れども天の時未だ臻らず、南山に蟬蛻し、人の事共に洽くして、東国に虎歩したまふ。皇輿忽ち駕して、山川を凌ぎ渡り、六師は雷のごとく震ひ、三軍は電のごとく逝く。矛を杖つきて威を挙げ、猛き士は烟のごとく起り、絳き旗に兵を耀かして、凶徒は瓦のごとく解けぬ。未だ浹辰を移さずして、気診自ら清まりぬ。乃ち牛を放ち馬を息め、愷悌して華夏に帰り、旌を巻き戈を戢めて、儛ひ詠ひて都邑に停まる。歳は大梁に次り、月は夾鍾に踵り、清原の大宮にて天位に昇即したまふ。道は軒后に軼ぎ、徳は周王に跨ゆ。乾符を握りて六合を摠べ、天統を得て八荒を包ね、二気の正しきに乗り、五行の序を斉へ、神理を設けて俗を奨め、英風を敷きて国を弘めたまふ。重ねて加ふるに、智の海は浩瀚にして、潭く上古を探り、心の鏡は煒煌にして、明らかに先代を覩たまふ。ここに天皇詔りたまはく、「朕聞く、諸家の賷てる帝紀及び本辞、既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふと。今の時に当りて、其の失を改めずは、未だ幾年をも経ずして、其の旨滅びなむとす。斯れ乃ち邦家の経緯、王化の鴻基なり。故、惟れ帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実を定め、後の葉に流へむと欲ふ」とのりたまふ。時に舎人あり、姓は稗田、名は阿礼、年は是れ廿八。人と為り聡明にして、目に度れば口に誦み、耳に払るれば心に勒す。即ち阿礼に勅語して、帝皇日継及び先代旧辞を誦み習はしめたまふ。

現代語訳

しかし天の時はまだ来ず、(大海人皇子は)蝉が殻を脱ぐように吉野の南の山に身を隠されました。やがて人々の心も一つになり、東国へ虎のように踏み出されます。天皇の乗り物はたちまち出発して山や川を越え、六軍は雷のように震い、三軍は稲妻のように進みました。矛を杖いて威を示せば、勇士たちは煙のように立ち上がり、赤い旗に兵が輝いて、敵は瓦が砕けるように崩れました。十二日も経たないうちに、乱れた気配はひとりでに清まりました。そこで牛を放ち馬を休め、安らかに都に帰り、旗を巻き武器を収めて、舞い歌いながら都にとどまられました。歳は癸酉、二月に、清原の大宮で天皇の位に即かれました。その道は黄帝を超え、徳は周の王を越えるほどでした。天の符を握って天下をまとめ、天の統を得て八方を包み、陰陽の正しさに乗り、五行の秩序を整え、神の理を設けて民を励まし、優れた風を広めて国を栄えさせられました。さらに、天皇の知恵の海は広く深く、はるか上古を探り、心の鏡は明るく輝いて、先の世を明らかに見通されました。そこで天皇は仰せになりました。「私は聞いている。諸家が持ち伝える帝紀と本辞は、すでに真実と違い、多くの偽りが加わっている。今この誤りを改めなければ、幾年も経たないうちにその本旨は滅びてしまうだろう。これは国家の根本であり、天皇の教化の大いなる基である。そこで帝紀を撰び録し、旧辞を調べ尽くして、偽りを削り真実を定め、後の世に伝えたい」。そのとき一人の舎人がいました。姓は稗田、名は阿礼、年は二十八。生まれつき聡明で、目に触れたものはすぐ口で誦み、耳に触れたものは心に刻みました。そこで阿礼に命じて、帝皇日継(歴代天皇の系譜)と先代旧辞を誦み習わせられました。

解説

壬申の乱に勝って即位した天武天皇が、家々に伝わる帝紀と本辞に誤りが多いことを憂え、偽りを削り真実を定めて後世に残そうと発意した場面です。古事記の成り立ちの核心で、歴史の記録は国家運営の土台であり、放置すれば正しい由来が失われるという危機感が語られます。記憶力に優れた稗田阿礼に誦習させたことも要点です。上に立つ者は、組織の拠り所となる事実や記録が歪んでいないかを自ら点検し、人を選んで確かな形で残す責任を負います。

この章句が説くこと

天武天皇稗田阿礼帝紀旧辞壬申の乱記録の正確さ

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