孟子 / 梁惠王章句上
孟子見梁襄王。出語人曰、望之不似人君。就之而不見所畏焉。卒然問曰、天下惡乎定。吾對曰、定于一。孰能一之。對曰、不嗜殺人者能一之。孰能與之。對曰、天下莫不與也。王知夫苗乎。七八月之間旱、則苗槁矣。天油然作雲、沛然下雨、則苗浡然興之矣。其如是、孰能禦之。今夫天下之人牧、未有不嗜殺人者也。如有不嗜殺人者、則天下之民皆引領而望之矣。誠如是也、民歸之、由水之就下沛然。誰能禦之。
新字:孟子見梁襄王。出語人曰、望之不似人君。就之而不見所畏焉。卒然問曰、天下悪乎定。吾対曰、定于一。孰能一之。対曰、不嗜殺人者能一之。孰能与之。対曰、天下莫不与也。王知夫苗乎。七八月之間旱、則苗槁矣。天油然作雲、沛然下雨、則苗浡然興之矣。其如是、孰能禦之。今夫天下之人牧、未有不嗜殺人者也。如有不嗜殺人者、則天下之民皆引領而望之矣。誠如是也、民帰之、由水之就下沛然。誰能禦之。
書き下し
孟子、梁の襄王に見ゆ。出でて人に語げて曰く、「之を望むに人君に似ず。之に就くに畏るる所を見ず。卒然として問うて曰く、『天下惡にか定まらん。』吾對えて曰く、『一に定まらん。』『孰か能く之を一にせん。』對えて曰く、『人を殺すを嗜まざる者、能く之を一にせん。』『孰か能く之に與せん。』對えて曰く、『天下與せざる莫きなり。王、夫の苗を知るか。七八月の間、旱すれば、則ち苗槁(かれる)れん。天、油然として雲を作し、沛然として雨を下さば、則ち苗浡然(ボツ・ゼン)として之に興きん。其れ是の如くなれば、孰か能く之を禦(とどめる)めん。今夫れ天下の人牧、未だ人を殺すことを嗜まざる者有らざるなり。如し人を殺すことを嗜まざる者有らば、則ち天下の民皆な領(くび)を引いて之を望まん。誠に是の如くなれば、民の之に歸すること、由ほ水の下きに就きて沛然たるがごとし。誰か能く之を禦めん。』」
現代語訳
孟子は梁の襄王にお目にかかったが、退出してから人に語った。 「王様は遠くから拝見しても、少しも人君らしく見えない。近づいて謁見しても少しも人を治める威厳を感じない。するといきなり、『この乱れた天下はどのように落ち着くだろうか。』とお尋ねになった。そこで私は、『統一されるでしょう。』とお答えすると、『誰が統一できるだろうか。』とお尋ねになられたので、私は、『人を殺すことを好まない仁君こそが統一することが出来ます。』とお答えした。すると、『そのような人物に一体誰が味方になるのか。』とお尋ねになられたので、私は、『天下に味方しない人はおりません。王様はあの稲の苗をご存知でしょうか。七月・八月の間に雨が降らなければ、苗は枯れますが、天にわかに雲がわきあがり、激しく雨が降ってくると、苗は急に元気になって起き上がって来るでしょう。苗がそのようになって来るのを、誰が防げることが出来ましょうか。國の政治も同じことです。今天下の人君で人を殺すのが好きでない者はおりません。それ故にもし人を殺すことを好まない人君が現れたら、世の人々は首を長くして望み、お慕いすることでありましょう。誠にこのようであれば、水が低い所に向かって激しく流れるように、世の民は君の元に集まって来るでしょう。そうなれば、誰がこれを防ぎ止めることができましょうか。』とお答えした。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「佚道を以て民を使えば、勞すと雖も怨みず。生道を以て民を殺せば、死すと雖も殺す者を怨みず。」
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「人皆忍びざる所有り。之を其の忍ぶ所に達するは、仁なり。人皆為さざる所有り。之を其の為す所に達するは、義なり。人能く人を害せんと欲する無きの心を充たさば、仁勝げて用う可からざるなり。人能く穿踰する無きの心を充たさば、義勝げて用う可らざらるなり。人能く爾汝を受くる無きの實を充たさば、往く所として義為らざるは無きなり。士未だ以て言う可からずして言う、是れ言うを以て之を餂るなり。以て言う可くして言わざる、是れ言わざるを以て之を餂るなり。是れ皆穿踰の類なり。」
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「三代の天下を得るや、仁を以てし、其の天下を失うや不仁を以てす。國の所廢興存亡する所以の者も、亦た然り。天子不仁なれば、四海を保たず。諸侯不仁なれば、社稷を保たず。卿大夫不仁なれば、宗廟を保たず。士庶人不仁なれば、四體を保たず。今、死亡を惡みて、而も不仁を樂しむは、是れ猶ほ醉うことを惡みて、而も酒を強うるがごとし。」
-
孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「人皆人に忍びざるの心有り。先王、人に忍びざるの心有り、斯に人に忍びざるの政有り。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行わば、天下を治むること、之を掌上に運らす可し。人皆人に忍びざるの心有りと謂う所以の者は、今、人乍(たちまち)ち孺子の將に井に入らんとするを見れば、皆怵惕惻隱の心有り。交わりを孺子の父母に内るる所以に非ざるなり。譽をᰰ黨朋友に要むる所以に非ざるなり。其の聲を惡んで然るに非ざるなり。是に由りて之を觀れば、惻隱の心無きは、人に非ざるなり。羞惡の心無きは、人に非ざるなり。辭讓の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり。惻隱の心は、仁の端なり。羞惡の心は、義の端なり。辭讓の心は、禮の端なり。是非の心は、智の端なり。人の是の四端有るや、猶ほ其の四體有るがごときなり。是の四端有りて、而して自ら能わざると謂う者は、自ら賊う者なり。其の君能わずと謂う者は、其の君を賊う者なり。凡そ我に四端有る者は、皆擴して之を充たすことを知る。火の始めて然え、泉の始めて達するが若し。苟くも能く之を充たさば、以て四海を保んずるに足る。苟くも之を充たさざれば、以て父母に事うるに足らず。」
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「其の為さざる所を為すこと無く、其の欲せざる所を欲すること無し。此の如きのみ。」
-
孟子・梁惠王章句下鄒と魯と鬨う。穆公問いて曰く、「吾が有司の死する者三十三人。而るに民之に死する莫きなり。之を誅せんとせば、則ち勝げて誅す可からず。誅せざれば、則ち其の長上の死を疾視して救わず。之を如何せば則ち可ならん。」孟子對えて曰く、「凶年饑歲には、君の民、老弱は溝壑(コウ・ガク)に轉じ、壯者は散じて四方に之く者、幾千人ぞ。而るに君の倉廩は實ち、府庫は充ち、有司以て告ぐる莫し。是れ上慢にして下を殘うなり。曾子曰く、『之を戒めよ、之を戒めよ。爾に出づる者は、爾に反る者なり。』夫れ民今にして後、之を反すことを得たるなり。君尤むること無かれ。君仁政を行わば、斯に民は其の上に親しみ、其の長に死なん。」