玉勝間 / 十四の巻 道
神の道は、世にすぐれたるまことの道なり、みな人知らではかなはぬ皇國の道なるに、わづかに糸筋ばかり世にのこりて、唯だまことならぬ、他の國の道道のみはびこりにはびこれるは、いかなる事にか。まがつひの神の御心は、すべ無き物なりけり。
新字:神の道は、世にすぐれたるまことの道なり、みな人知らではかなはぬ皇国の道なるに、わづかに糸筋ばかり世にのこりて、唯だまことならぬ、他の国の道道のみはびこりにはびこれるは、いかなる事にか。まがつひの神の御心は、すべ無き物なりけり。
書き下し
神の道は、世にすぐれたるまことの道なり、みな人知らではかなわぬ皇国の道なるに、わずかに糸筋ばかり世にのこりて、ただまことならぬ、他の国の道々のみはびこりにはびこれるは、いかなる事にか。まがつひの神の御心は、すべ無き物なりけり。
現代語訳
神の道は、世に優れた真の道である。誰もが知らなければならない我が国の道であるのに、わずかに糸筋ほどが世に残るばかりで、ただ真でない他国の道ばかりがはびこりにはびこっているのは、どういうことであろうか。禍津日神の御心は、どうしようもないものであったよ。
解説
十四の巻、そして『玉勝間』全体の最後に置かれた段である。宣長は、神の道こそ世に優れた真の道であり、誰もが知るべき道なのに、糸筋ほどしか世に残らず、真でない他国の道、すなわち儒教や仏教ばかりがはびこっていると嘆く。そしてその理由を、禍津日神(まがつひのかみ)の御心に帰し、どうしようもないものだと結ぶ。禍津日神は、伊邪那岐命が黄泉の国の穢れを禊いだときに生まれた神で、宣長は世の中の悪しきこと、理不尽なことはこの神の働きによると考えた。人の力ではどうにもならない世の成り行きへの深い嘆きと、それでもなお神の道を信じる思いが、この短い言葉にこめられている。宣長は享和元年(一八〇一年)に七十二歳で世を去り、この巻は没後に遺稿から写し継がれた。
関連する章句
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『玉勝間』十四の巻 世の人まことの道に心つかざる事天の下大かた、件の如くなれば、ただいずこもいずこも、仏寺のみ栄えて、神社はいたく衰えまして、その衰えを憂うる人も無く、神はただ、病その外の祈り事にのみ用いられて、この道もただ、世の中の外の無用の物の如く、ただ古えより有り来たれる事として、ひたぶるに廃られぬと云うのみなり。この道は、これ天下を治め、国を治むる、先務要道なることを知れる人は、われいまだ、夢にも見きかず。いともいとも悲しき事ならずや。
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『玉勝間』十四の巻 世の人まことの道に心つかざる事もろこしの国には、道教と云うもの、世々に盛んに行われて、大かた仏道とひとしきばかりなり。この道、老子を祖とはたつれども、老子が意とはいたく異にして、ただあやしき戯れわざのようなる事にて、そのむねを極むれば、ようなきいたずら事なり。皇国に、この道のわたりもうでこざるは幸いなり。然は有れども、天の下の人の心、仏道と儒道とに、ことごとく奪われ果てたるは、又なげかしき事なり。大かた天下の人、上中下、さかしき愚かなる、おしなべて、奥山の山賤までも、仏を信ぜざるは一人も無く、その中に、角なる字をもいささか読むほどの者は、又なかば儒意をまじえて、万ずの事を思い定むめり。されば、神のまことの道を思う人は、千万人の中に、ただ一人二人にて、その余は神社につかうる人の中に、稀れ稀れさすがに己が家の業と思い得て、神の道を尊ぶもあれど、さる人も、多くは仏意儒意なり。又神の道と云うも、皆儒仏によりて説きまげたる物なれば、まことの道は、大かた絶えはてたるも同じ事なり。
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『玉勝間』九の巻 道道は、高御産巣日、神産巣日御祖の神の産霊によりて、伊邪那岐、伊邪那美二柱の神のはじめ給い、天照大御神の受けて行わせ給う道なれば、必ず万の国々、天地の間に、あまねく行き足らうべき道なり。ただ人の、おのがわたくしの家の物とすべき道にはあらず。
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『玉勝間』十四の巻 世の中の万の事は皆神の御しわざなる事世の中の万ずの事はみなあやしきを、これ奇しく妙なる神の御しわざなる事をえ知らずして、己がおしはかりの理を以て云うはいとおこなり。いかにとも知られぬ事を理を以てとかく云うは、から人のくせなり。その云う所の理は、いかさまにも云えばいわるる物ぞ。かれ古えのから人の云いおける理、後世にいたりてひがことなる事のあらわれたる事多し。またついに理のはかり難き事にあえば、これを天と云いてのがるる、皆神ある事を知らざる故なり。
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『玉勝間』九の巻 神をなほざりに思ひ奉る世のならひをかなしむ事世の人の、神をなおざりに思い奉るは、かえすがえすこころ憂きわざなり。さるは程々に、尊み奉らぬにしもあらざんめれど、ただ世のならいの、人なみなみの、かいなでの尊みのみこそ有れ、まことに心にしめて尊み奉るべき事を、思いわきまえず、ただおろそかにぞ思いたんめる。目にこそ見えね、この天地万の物の、出で来始めしも、又むかし今の、世の中の大き小さきもろもろの事も、人の身のうえ、食い物、着物、居どころ、なにくれ、もろもろの事もことごとく神の御めぐみにかからざる事は無きを、さるゆえよしをば忘れ果てて、なべての人、ただまがつひのまが事にのみまじこり、心をかたむけて、万にさかしだつ人はたからぶみごころを、心とはして稀れ稀れに神代の御事どもを聞きても、ただはるけき世界の、昔語りを聞くがごと、よそげにのみ思い過ごして、そは皆今の世の中、おのが身々の上にかかれる、本なる事を思いたどらず。万よりもかなしきは、神の社神事の衰えなるを、かばかりめでたき御代にしも、もろもろの古き神の御社どもの、いみじく衰えませるを、なおしたて奉らんの心ざし有る人の、世に出でこぬこそ、いともいとも口惜しけれ。
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『玉勝間』二の巻 道にかなはぬ世中のしわざ道にかなわずとて、世に久しく有りならいつる事を、にわかにやめむとするはわろし。ただそのそこないの筋をはぶき去りて、ある物はあるにてさし置きて、まことの道を尋ぬべきなり、よろずの事を、しいて道のままに直しおこなわむとするは、なかなかにまことの道のこころにかなわざる事あり。万の事は、おこるもほろぶるも、盛りなるも衰うるも、みな神の御心にし有れば、さらに人の力もて、得うごかすべきわざにはあらず。まことの道の意をさとりえたらむ人は、おのずからこのことわりはよく明らめ知るべきなり。
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