玉勝間 / 十四の巻 世の人まことの道に心つかざる事
天ノ下大かた、件の如くなれば、唯だ何國も何國も、佛寺のみ榮えて、神社はいたく衰へまして、その衰へを憂ふる人も無く、神は唯だ、病その外の祈り事にのみ用ひられて、此道も唯だ、世ノ中の外の無用の物の如く、唯だ古へより有來れる事として、ひたふるに廢られぬと云ふのみなり。此道は、これ天下を治め、國を治むる、先務要道なることを知れる人は、われいまだ、夢にも見きかず。いともいとも悲しき事ならずや。
新字:天ノ下大かた、件の如くなれば、唯だ何国も何国も、仏寺のみ栄えて、神社はいたく衰へまして、その衰へを憂ふる人も無く、神は唯だ、病その外の祈り事にのみ用ひられて、此道も唯だ、世ノ中の外の無用の物の如く、唯だ古へより有来れる事として、ひたふるに廃られぬと云ふのみなり。此道は、これ天下を治め、国を治むる、先務要道なることを知れる人は、われいまだ、夢にも見きかず。いともいとも悲しき事ならずや。
書き下し
天の下大かた、件の如くなれば、ただいずこもいずこも、仏寺のみ栄えて、神社はいたく衰えまして、その衰えを憂うる人も無く、神はただ、病その外の祈り事にのみ用いられて、この道もただ、世の中の外の無用の物の如く、ただ古えより有り来たれる事として、ひたぶるに廃られぬと云うのみなり。この道は、これ天下を治め、国を治むる、先務要道なることを知れる人は、われいまだ、夢にも見きかず。いともいとも悲しき事ならずや。
現代語訳
天下はおおよそ前に述べたとおりなので、ただどこもかしこも仏寺ばかりが栄えて、神社はひどく衰えており、その衰えを憂える人もなく、神はただ病気やそのほかの祈り事にだけ用いられて、この道もただ世の中の外の無用のもののように、ただ昔からあり来たったこととして、すっかり廃れてはいないというだけである。この道こそが、天下を治め国を治める第一の務め、肝要の道であることを知っている人は、私はまだ夢にも見聞きしたことがない。まことにまことに悲しいことではないか。
解説
関連する章句
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