玉勝間 / 九の巻 神をなほざりに思ひ奉る世のならひをかなしむ事
世の人の、神をなほざりに思ひ奉るは、かへすかへすこころ憂きわざなり。さるは程程に、たふとみ奉らぬにしもあらざンめれど、唯だ世のならひの、人なみなみの、かいなでの尊みのみこそ有れ、まことに心にしめて尊み奉るべき事を、思ひわきまへず、唯だおろそかにぞ思ひたンめる。目にこそ見えね、此天地萬の物の、出來始めしも、又むかし今の、世ノ中の大き小きもろもろの事も、人の身のうへ、食ひ物、著物、居どころ、なにくれ、もろもろの事もことごとく神の御めぐみにかからざる事は無きを、さるゆるよしをば忘れ果てて、なべての人、唯だまがつひのまが事にのみまじこり、心をかたむけて、萬づにさかしたつ人はたからぶみごころを、心とはして稀れ稀れに神代の御事どもを聞ても、唯だはるけき世界の、昔語りを聞くがこと、よそげにのみ思ひ過して、そは皆今の世の中、おのが身身の上にかかれる、本なる事を思ひたどらず。萬づよりもかなしきは、神の社神事の衰へなるを、かばかりめでたき御代にしも、もろもろの古き神の御社どもの、いみしく衰へませるを、なほしたて奉らんの心ざし有る人の、世に出でこぬこそ、いともいとも口惜しけれ。
新字:世の人の、神をなほざりに思ひ奉るは、かへすかへすこころ憂きわざなり。さるは程程に、たふとみ奉らぬにしもあらざンめれど、唯だ世のならひの、人なみなみの、かいなでの尊みのみこそ有れ、まことに心にしめて尊み奉るべき事を、思ひわきまへず、唯だおろそかにぞ思ひたンめる。目にこそ見えね、此天地万の物の、出来始めしも、又むかし今の、世ノ中の大き小きもろもろの事も、人の身のうへ、食ひ物、著物、居どころ、なにくれ、もろもろの事もことごとく神の御めぐみにかからざる事は無きを、さるゆるよしをば忘れ果てて、なべての人、唯だまがつひのまが事にのみまじこり、心をかたむけて、万づにさかしたつ人はたからぶみごころを、心とはして稀れ稀れに神代の御事どもを聞ても、唯だはるけき世界の、昔語りを聞くがこと、よそげにのみ思ひ過して、そは皆今の世の中、おのが身身の上にかかれる、本なる事を思ひたどらず。万づよりもかなしきは、神の社神事の衰へなるを、かばかりめでたき御代にしも、もろもろの古き神の御社どもの、いみしく衰へませるを、なほしたて奉らんの心ざし有る人の、世に出でこぬこそ、いともいとも口惜しけれ。
書き下し
世の人の、神をなおざりに思い奉るは、かえすがえすこころ憂きわざなり。さるは程々に、尊み奉らぬにしもあらざんめれど、ただ世のならいの、人なみなみの、かいなでの尊みのみこそ有れ、まことに心にしめて尊み奉るべき事を、思いわきまえず、ただおろそかにぞ思いたんめる。目にこそ見えね、この天地万の物の、出で来始めしも、又むかし今の、世の中の大き小さきもろもろの事も、人の身のうえ、食い物、着物、居どころ、なにくれ、もろもろの事もことごとく神の御めぐみにかからざる事は無きを、さるゆえよしをば忘れ果てて、なべての人、ただまがつひのまが事にのみまじこり、心をかたむけて、万にさかしだつ人はたからぶみごころを、心とはして稀れ稀れに神代の御事どもを聞きても、ただはるけき世界の、昔語りを聞くがごと、よそげにのみ思い過ごして、そは皆今の世の中、おのが身々の上にかかれる、本なる事を思いたどらず。万よりもかなしきは、神の社神事の衰えなるを、かばかりめでたき御代にしも、もろもろの古き神の御社どもの、いみじく衰えませるを、なおしたて奉らんの心ざし有る人の、世に出でこぬこそ、いともいとも口惜しけれ。
現代語訳
世の人が神をなおざりに思い申し上げるのは、返す返すも情けないことである。とはいえ、それなりに尊び申し上げないわけでもないようだが、ただ世の習いとして、人並みの、うわべだけの尊びがあるばかりで、本当に心に深く刻んで尊び申し上げるべきことをわきまえず、ただおろそかに思っているようだ。目にこそ見えないが、この天地のあらゆる物が生じ始めたのも、また昔から今までの世の中の大小さまざまな事も、人の身の上、食べ物、着物、住まい、何やかや、あらゆる事もことごとく神の御恵みによらないものはないのに、そのいわれを忘れ果てて、世の人はみな、ただ禍津日神のもたらす禍事にばかり惑わされて心を傾け、何事にも賢しらぶる人はまた漢籍の心を自分の心として、まれに神代のことを聞いても、ただ遥かな世界の昔話を聞くように、よそごとのようにばかり思い過ごして、それがみな今の世の中、自分たちの身の上にかかわる根本のことであるとは考えも及ばない。何よりも悲しいのは、神の社と神事の衰えであるのに、これほどめでたい御代にあって、多くの古い神の御社がひどく衰えておられるのを、立て直し申し上げようという志のある人が世に現れないことこそ、まことにまことに残念である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 神わざのおとろへのなげかはしき事よろずよりも、世の中に願わしきは、いかでもろもろの神の社の衰えを、もて直し、もろもろの神わざを、おこさまほしくこそ。今の世の神の社・神事のさまは、おおかた中頃の乱れ世に、いたく衰えすたれたるままなるを、今の世の人は、ただ今のさまをのみ見て、古よりかかるものとぞ思いたんめる。まれまれ書を読む人なども、ただからぶみをのみむねとは読みて、その心もて、万ずをさだして、皇国の古き書どもをば、おさおさ読む人も無ければ、古の御世には、神社・神事を、むねと重くし給いし事をば知らず。また稀れには知れる人も有れども、なお今の世のならいにまぎれては、古を思いくらべて、これを深く歎く人の無きこそ、いと悲しけれ。
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『玉勝間』十四の巻 世の人まことの道に心つかざる事天の下大かた、件の如くなれば、ただいずこもいずこも、仏寺のみ栄えて、神社はいたく衰えまして、その衰えを憂うる人も無く、神はただ、病その外の祈り事にのみ用いられて、この道もただ、世の中の外の無用の物の如く、ただ古えより有り来たれる事として、ひたぶるに廃られぬと云うのみなり。この道は、これ天下を治め、国を治むる、先務要道なることを知れる人は、われいまだ、夢にも見きかず。いともいとも悲しき事ならずや。
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『玉勝間』十四の巻 神のめぐみ上は位たかく、一国一郡をもしりて、多くの人を従え、世の人にうやまわれ、万ゆたかに楽しくてすぐし、下は飢えず食い、寒からず着、やすく家居る。これら皆、君のめぐみ、先祖のめぐみ、父母のめぐみなる事はさるものにて、その本をたずぬれば、件の事どもより始め、世に有りとあるもろもろの事、みな神のみたまにあらずと云う事無し。しかれば、世にあらむ人、神を尊まではえあらぬ事なるを、平日になりぬる事は、さしも心にとめず、忘れおるならいにて、君のめぐみ、先祖のめぐみをもさしも思わず。もとより神の御たまなる事は、みな忘れはてて、思いもやらぬは、いといとかしこく有るまじき事なり。一日も、食物無くは如何にせむ。衣物無くは如何にせむ。これを思わば、君のめぐみ、先祖父母のめぐみを常に忘るべきにあらず。然るを世の人、さる事をば知らず思わず、神をばただよそげに思い奉りて、たまたまさしあたりて祈る事などかなわねば、その神をうらみ奉りなどするは、いといとかたじけなき事なり。生まれいずるより死ぬるまで、神の恵みの中に居ながら、いささか心にかなわぬ事ありとても、これをうらみ奉るべき事かは。
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『玉勝間』十四の巻 世の中の万の事は皆神の御しわざなる事世の中の万ずの事はみなあやしきを、これ奇しく妙なる神の御しわざなる事をえ知らずして、己がおしはかりの理を以て云うはいとおこなり。いかにとも知られぬ事を理を以てとかく云うは、から人のくせなり。その云う所の理は、いかさまにも云えばいわるる物ぞ。かれ古えのから人の云いおける理、後世にいたりてひがことなる事のあらわれたる事多し。またついに理のはかり難き事にあえば、これを天と云いてのがるる、皆神ある事を知らざる故なり。
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『玉勝間』九の巻 神をなほざりに思ひ奉る世のならひをかなしむ事そもそも宣長、かかるすじの事を、かえすがえす云い出づる、人はうるさしとも思うらめど、この事のうれたさの、明け暮れ心に忘らるる間も無く覚ゆるから、筆だにとれば、書きいでまほしくてなん。治まれる御代のしるしを千木たかく神のやしろに見るよしもがな
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『玉勝間』一の巻 又漢国にも、神あることを、むげに知らざるにもあらず、尊みもし祀りもすめるは、まことの伝えの、かたはしは有りしならむ。然れどもこの天地をはじめ給い、国土万の物を造りなし給い、人の道をも万の事をも始め給い、世の中のよろづの事をしり行い給う神たちのまします事をば、すべてえ知らずして、これらの重く大きなる事には、ただ天をのみ云いて、ただかたわらなる小さき事にのみ、神をば云いて、この世を照らし給う日の大御神をすら、かろがろしく、ことなる事も無き物の如くして、この神をもとも畏れ尊み奉るべきことをだに知らざるは、いとあさましきわざなりかし。
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