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玉勝間 / 十四の巻 神のめぐみ

又祈る事きき給はねば、神は尊みてやく無き物のごと思ひなどするは、いかにぞや。かへすかへすも萬の事、ことごとく神のみたまなる事を、平日に忘るる事なくは、おのづから神の尊まではかなはぬ事を知べし、たとへば百兩の金はしき時に、人の九十九兩あたへて、一兩足らざるが如し。その與へたる人をば悅ぶべきか、恨むべきか。祈る事かなはねばとて、神をえう無き物にうらみ奉るは、九十九兩與へたらむ人を、えう無きものに思ひて恨むるが如し。九十九兩のめぐみを忘れて、今一兩あたへざるを恨むるは如何に。

新字:又祈る事きき給はねば、神は尊みてやく無き物のごと思ひなどするは、いかにぞや。かへすかへすも万の事、ことごとく神のみたまなる事を、平日に忘るる事なくは、おのづから神の尊まではかなはぬ事を知べし、たとへば百両の金はしき時に、人の九十九両あたへて、一両足らざるが如し。その与へたる人をば悦ぶべきか、恨むべきか。祈る事かなはねばとて、神をえう無き物にうらみ奉るは、九十九両与へたらむ人を、えう無きものに思ひて恨むるが如し。九十九両のめぐみを忘れて、今一両あたへざるを恨むるは如何に。

書き下し

又祈る事きき給わねば、神は尊みてやく無き物のごと思いなどするは、いかにぞや。かえすがえすも万の事、ことごとく神のみたまなる事を、平日に忘るる事なくは、おのずから神の尊まではかなわぬ事を知るべし、たとえば百両の金ほしき時に、人の九十九両あたえて、一両足らざるが如し。その与えたる人をば悦ぶべきか、恨むべきか。祈る事かなわねばとて、神をよう無き物にうらみ奉るは、九十九両与えたらむ人を、よう無きものに思いて恨むるが如し。九十九両のめぐみを忘れて、今一両あたえざるを恨むるは如何に。

現代語訳

また、祈ることをお聞き入れにならないと、神は尊んでも甲斐のないもののように思ったりするのは、どうしたことか。くれぐれも、あらゆることがことごとく神の御霊によることを、ふだん忘れることがなければ、自然と神を尊ばずにはいられないことが分かるはずである。たとえば百両の金が欲しいときに、人が九十九両を与えて、一両足りないようなものである。その与えてくれた人を喜ぶべきか、恨むべきか。祈ることがかなわないからといって、神を役に立たないものと恨み申し上げるのは、九十九両を与えてくれた人を、役に立たない者と思って恨むようなものである。九十九両の恵みを忘れて、あと一両を与えないのを恨むのはどうしたことか。

解説

前段の続きで、祈りがかなわないと神を役に立たないものと思う人々を、たとえ話でたしなめた段である。百両が必要なときに九十九両をくれた人を、残りの一両をくれないからと恨むべきだろうか、と宣長は問う。人が生きていられること自体がすでに九十九両の恵みであり、祈りがかなわないのは最後の一両が足りないだけにすぎない。宣長の神は、祈れば何でもかなえてくれる便利な存在ではない。世の中には善い神の働きとともに、禍津日神の働きによる災いや不幸もあり、それは人の力では避けられないと宣長は考えた。得られなかったものより、すでに得ているものを数えよという教えであり、不満や欠乏感にとらわれがちな心への、今も通じる処方である。

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