玉勝間 / 九の巻 道
道は、高御產巢日、神產巢日御祖ノ神の產靈によりて、伊邪那岐、伊邪那美二柱の神のはじめ給ひ、天照大御神の受行はせ給ふ道なれば、必〓萬の國國、天地の間に、あまねく行き足らふべき道なり。ただ人の、おのがわたくしの家の物とすべき道にはあらず。
新字:道は、高御産巣日、神産巣日御祖ノ神の産霊によりて、伊邪那岐、伊邪那美二柱の神のはじめ給ひ、天照大御神の受行はせ給ふ道なれば、必〓万の国国、天地の間に、あまねく行き足らふべき道なり。ただ人の、おのがわたくしの家の物とすべき道にはあらず。
書き下し
道は、高御産巣日、神産巣日御祖の神の産霊によりて、伊邪那岐、伊邪那美二柱の神のはじめ給い、天照大御神の受けて行わせ給う道なれば、必ず万の国々、天地の間に、あまねく行き足らうべき道なり。ただ人の、おのがわたくしの家の物とすべき道にはあらず。
現代語訳
道は、高御産巣日神・神産巣日神という御祖の神の産霊(むすび=ものを生み成す力)によって、伊邪那岐・伊邪那美の二柱の神がお始めになり、天照大御神が受け継いでお行いになる道であるから、必ずあらゆる国々、天地の間に、あまねく行き渡るべき道である。ただの人が自分の私の家の物とすべき道ではない。
解説
前の段の秘伝批判を受けて、宣長が自らの説く「道」の本質を短く言い切った段である。宣長にとって道とは、儒教のように聖人が作った教えではなく、高御産巣日神・神産巣日神の産霊の力により、伊邪那岐・伊邪那美が始め、天照大御神が受け継いで行う、神々の道である。それゆえこの道は日本だけでなく万国に、天地の間にあまねく及ぶべきものだという。皇国の道を世界の普遍の道とするこの主張は、宣長の神学の核心であり、後の時代に国家主義と結びついて読まれたことも知っておくべきだろう。ただこの段の結びは、道は誰かが家の秘伝として私すべきものではない、という点にある。
関連する章句
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『直毘霊』此の道はいかなる道ぞそも此の道は、いかなる道ぞと尋ぬるに、天地のおのずからなる道にもあらず。是をよく弁え別けて、かの漢国の老荘などが見と、ひとつにな思いまがえそ。人の作れる道にもあらず。此の道はしも、可畏きや高御産巣日神の御霊によりて、世の中にあらゆる事も物も、皆悉に、此の大神のみたまより成れり。神祖伊邪那岐大神・伊邪那美大神の始めたまいて、よのなかにあらゆる事も物も、此の二柱の大神よりはじまれり。天照大御神の受けたまい、たもちたまい、伝え賜う道なり。故に是を以て神の道とは申すぞかし。
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『玉勝間』十四の巻 道神の道は、世にすぐれたるまことの道なり、みな人知らではかなわぬ皇国の道なるに、わずかに糸筋ばかり世にのこりて、ただまことならぬ、他の国の道々のみはびこりにはびこれるは、いかなる事にか。まがつひの神の御心は、すべ無き物なりけり。
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『玉勝間』四の巻 教は猨田彦ノ神のをしへと云ふ事近き世神道者の説に、道は天照大神の道、教えは猿田彦の神の教えなりと、いみしげに云うなり。道は天照大神の道と云うは、論無きを、教えは猿田彦の神の教えと云う事こそ、いと心得ね。猿田彦の神は、皇御孫の命の天降ります御前に立ちて、啓行をこそ仕え奉り給えれ、世の人のおこなうべき道を、教え給える事は、古書にかつて見えず。よしも無き付会なり。この外世の神道者の云う説ども、このたぐいのみ多し。皆から国の教説をうらやみて、かれに似たらむともとめたる、しいごとなり。
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うひ山ぶみ・第二十一段そもそも此道は、天照大御神の道にして、天皇の天下をしろしめす道、四海万国にゆきわたりたる、まことの道なるが、ひとり皇国に伝はれるを、其道は、いかなるさまの道ぞといふに、
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うひ山ぶみ・注[ホ]此道は、古事記書紀の二典に記されたる多くかの国ざまに改められたるから、上古の式はうせて、世に伝はらざるが多ければ、そのさだかにこまかなることは、知リがたくなりぬる、いといと歎かはしきわざ也、たまたま片田舎などには、上古の式の残れる事も有とおぼしけれども、それも猶仏家の事などのまじりて、正しく伝はれるは有がたかめり、そもそも道といふ物は、上に行ひ玉ひて、下へは、上より敷キ施し給ふものにこそあれ、下たる者の、私に定めおこなふものにはあらず、されば神学者などの、神道の行ひとて、世間に異なるわざをするは、たとひ上古の行ひにかなへること有といへども、今の世にしては私なり、道は天皇の天下を治めさせ給ふ、正大公共の道なるを、一己の私の物にして、みづから狭く小く説なして、たゞ巫覡などのわざのごとく、或はあやしきわざを行ひなどして、それを神道となのるは、いともいともあさましくかなしき事也、すべて下たる者は、よくてもあしくても、その時々の上の掟のまゝに、従ひ行ふぞ、即チ古ヘの道の意には有ける、
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『玉勝間』四の巻 両部神道ただおのがわたくしの新ばり道なるを、神道としも名づけたるは、いかなる故ぞと云うに、儒の道仏の道は、あだし国よりわたりもうで来つる道にして、神の道ぞ、皇国の本よりの道なれば、後の世と云えども、世の人なお、他国の道によらんよりは、同じくは吾が国の道をこそは尊むべけれ、と思う心も、さすがに多く有る物なれば、さる世の人をおもむけむ為に、わが国の道と云う名をかりたる物にして、このともがらの祖とする、昔の法師なども、然かにぞ有りける。そのかみなお国々の民どもは、もはら神を尊みあおげる故に、まづその神を引きこめて、おのが道の中の物にしなして、かしこくも仏の奴の如く説きなして、人の心をうつさせたる物ぞかし。ちかき世の両部神道の、神道と云う名も、この心ばえを以てなり。
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