呻吟語 / 内篇・修身・孔孟も身遇はず
自家才德,自家明白的。才短德微,即卑官薄祿,已為難稱。若已逾涘分而觖望無窮,卻是難為了造物。孔孟身不遇,又當如何?
新字:自家才徳,自家明白的。才短徳微,即卑官薄禄,已為難称。若已逾涘分而觖望無窮,却是難為了造物。孔孟身不遇,又当如何?
書き下し
自家の才德は、自家明白なる的なり。才短く德微なれば、即ち卑官薄祿も、已に稱ひ難しと為す。若し已に涘分を逾えて觖望窮まり無くんば、卻って是れ造物を難ずるを為すなり。孔孟も身遇はず、又た當に如何にすべきか。
現代語訳
自分の才と徳は、自分がいちばんよく分かっています。才が短く徳が薄ければ、低い官と少ない俸禄でさえ、すでに釣り合わないというべきです。それなのに自分の分をとうに越えていながら、なお不満が尽きないなら、それは造物主に難癖をつけているのです。孔子も孟子も世に用いられませんでした。それをどう考えるのでしょうか。
解説
待遇への不満を、自分の才徳との釣り合いから測り直させます。自分の程度は自分がいちばん分かっているはずだ、という前置きが効いています。そして最後に孔子と孟子を持ち出す。あの二人でさえ用いられなかったのだから、と言われれば黙るしかありません。愚痴を封じる論法として、実に的確な一段です。待遇への不満は、自分の採点表を先に見よということです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
待遇不満釣り合い分孔孟
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