玉勝間 / 十四の巻 神のめぐみ
上は位たかく、一國一郡をもしりて、多くの人を從へ、世の人にうやまはれ、萬ゆたかに樂くてすぐし、下は飢ゑず食ひ、寒からず着、やすく家る。これら皆、君のめぐみ、先祖のめぐみ、父母のめぐみなる事はさるものにて、その本をたづぬれば、件の事どもより始め、世に有りとあるもろもろの事、みな神のみたまにあらずと云ふ事無し。しかれば、世にあらむ人、神を尊まではえあらぬ事なるを、平日になりぬる事は、さしも心にとめず、忘れをるならひにて、君のめぐみ、先祖のめぐみをもさしも思はず。もとより神の御たまなる事は、みな忘れはてて、思ひもやらぬは、いといとかしこく有るまじき事なり。一日も、食物無くは如何にせむ。衣物無くは如何にせむ。是れを思はば、君のめぐみ、先祖父母のめぐみを常に忘るべきにあらず。然るを世の人、さる事をは知らず思はず、神をば唯だよそげに思ひ奉りて、たまたまさしあたりて祈る事などかなはねば、その神をうらみ奉りなどするは、いといとかたじけなき事なり。生れいづるより死ぬるまで、神の惠の中に居ながら、いささか心にかなはぬ事ありとても、是れをうらみ奉るべき事かは。
新字:上は位たかく、一国一郡をもしりて、多くの人を従へ、世の人にうやまはれ、万ゆたかに楽くてすぐし、下は飢ゑず食ひ、寒からず着、やすく家る。これら皆、君のめぐみ、先祖のめぐみ、父母のめぐみなる事はさるものにて、その本をたづぬれば、件の事どもより始め、世に有りとあるもろもろの事、みな神のみたまにあらずと云ふ事無し。しかれば、世にあらむ人、神を尊まではえあらぬ事なるを、平日になりぬる事は、さしも心にとめず、忘れをるならひにて、君のめぐみ、先祖のめぐみをもさしも思はず。もとより神の御たまなる事は、みな忘れはてて、思ひもやらぬは、いといとかしこく有るまじき事なり。一日も、食物無くは如何にせむ。衣物無くは如何にせむ。是れを思はば、君のめぐみ、先祖父母のめぐみを常に忘るべきにあらず。然るを世の人、さる事をは知らず思はず、神をば唯だよそげに思ひ奉りて、たまたまさしあたりて祈る事などかなはねば、その神をうらみ奉りなどするは、いといとかたじけなき事なり。生れいづるより死ぬるまで、神の恵の中に居ながら、いささか心にかなはぬ事ありとても、是れをうらみ奉るべき事かは。
書き下し
上は位たかく、一国一郡をもしりて、多くの人を従え、世の人にうやまわれ、万ゆたかに楽しくてすぐし、下は飢えず食い、寒からず着、やすく家居る。これら皆、君のめぐみ、先祖のめぐみ、父母のめぐみなる事はさるものにて、その本をたずぬれば、件の事どもより始め、世に有りとあるもろもろの事、みな神のみたまにあらずと云う事無し。しかれば、世にあらむ人、神を尊まではえあらぬ事なるを、平日になりぬる事は、さしも心にとめず、忘れおるならいにて、君のめぐみ、先祖のめぐみをもさしも思わず。もとより神の御たまなる事は、みな忘れはてて、思いもやらぬは、いといとかしこく有るまじき事なり。一日も、食物無くは如何にせむ。衣物無くは如何にせむ。これを思わば、君のめぐみ、先祖父母のめぐみを常に忘るべきにあらず。然るを世の人、さる事をば知らず思わず、神をばただよそげに思い奉りて、たまたまさしあたりて祈る事などかなわねば、その神をうらみ奉りなどするは、いといとかたじけなき事なり。生まれいずるより死ぬるまで、神の恵みの中に居ながら、いささか心にかなわぬ事ありとても、これをうらみ奉るべき事かは。
現代語訳
上の者は位が高く、一国一郡をも治めて多くの人を従え、世の人に敬われ、何事も豊かに楽しく過ごし、下の者は飢えずに食べ、寒くなく着て、安らかに家に住む。これらはみな、主君の恵み、先祖の恵み、父母の恵みであることはもちろんであるが、その本をたずねれば、これらのことをはじめ、世にありとあらゆることは、みな神の御霊によらないということはない。だから世に生きる人は、神を尊ばずにはいられないはずなのに、ふだん当たり前になっていることは、それほど心にも留めずに忘れている習いで、主君の恵みや先祖の恵みもそれほど思わない。まして神の御霊によることは、みな忘れ果てて思いもしないのは、まことにまことに恐れ多く、あってはならないことである。一日でも食べ物がなければどうしようか。着る物がなければどうしようか。これを思えば、主君の恵み、先祖・父母の恵みを常に忘れてよいはずがない。それなのに世の人は、そういうことを知りもせず思いもせず、神をただよそよそしく思い申し上げて、たまたま差し迫って祈ったことなどがかなわないと、その神をお恨み申し上げたりするのは、まことにまことにもったいないことである。生まれてから死ぬまで神の恵みの中にいながら、少し思いどおりにならないことがあったからといって、これをお恨み申し上げてよいものか。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十四の巻 神のめぐみ又祈る事きき給わねば、神は尊みてやく無き物のごと思いなどするは、いかにぞや。かえすがえすも万の事、ことごとく神のみたまなる事を、平日に忘るる事なくは、おのずから神の尊まではかなわぬ事を知るべし、たとえば百両の金ほしき時に、人の九十九両あたえて、一両足らざるが如し。その与えたる人をば悦ぶべきか、恨むべきか。祈る事かなわねばとて、神をよう無き物にうらみ奉るは、九十九両与えたらむ人を、よう無きものに思いて恨むるが如し。九十九両のめぐみを忘れて、今一両あたえざるを恨むるは如何に。
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『玉勝間』九の巻 神をなほざりに思ひ奉る世のならひをかなしむ事世の人の、神をなおざりに思い奉るは、かえすがえすこころ憂きわざなり。さるは程々に、尊み奉らぬにしもあらざんめれど、ただ世のならいの、人なみなみの、かいなでの尊みのみこそ有れ、まことに心にしめて尊み奉るべき事を、思いわきまえず、ただおろそかにぞ思いたんめる。目にこそ見えね、この天地万の物の、出で来始めしも、又むかし今の、世の中の大き小さきもろもろの事も、人の身のうえ、食い物、着物、居どころ、なにくれ、もろもろの事もことごとく神の御めぐみにかからざる事は無きを、さるゆえよしをば忘れ果てて、なべての人、ただまがつひのまが事にのみまじこり、心をかたむけて、万にさかしだつ人はたからぶみごころを、心とはして稀れ稀れに神代の御事どもを聞きても、ただはるけき世界の、昔語りを聞くがごと、よそげにのみ思い過ごして、そは皆今の世の中、おのが身々の上にかかれる、本なる事を思いたどらず。万よりもかなしきは、神の社神事の衰えなるを、かばかりめでたき御代にしも、もろもろの古き神の御社どもの、いみじく衰えませるを、なおしたて奉らんの心ざし有る人の、世に出でこぬこそ、いともいとも口惜しけれ。
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『玉勝間』十四の巻 世の中の万の事は皆神の御しわざなる事世の中の万ずの事はみなあやしきを、これ奇しく妙なる神の御しわざなる事をえ知らずして、己がおしはかりの理を以て云うはいとおこなり。いかにとも知られぬ事を理を以てとかく云うは、から人のくせなり。その云う所の理は、いかさまにも云えばいわるる物ぞ。かれ古えのから人の云いおける理、後世にいたりてひがことなる事のあらわれたる事多し。またついに理のはかり難き事にあえば、これを天と云いてのがるる、皆神ある事を知らざる故なり。
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『玉勝間』十四の巻 世の人まことの道に心つかざる事天の下大かた、件の如くなれば、ただいずこもいずこも、仏寺のみ栄えて、神社はいたく衰えまして、その衰えを憂うる人も無く、神はただ、病その外の祈り事にのみ用いられて、この道もただ、世の中の外の無用の物の如く、ただ古えより有り来たれる事として、ひたぶるに廃られぬと云うのみなり。この道は、これ天下を治め、国を治むる、先務要道なることを知れる人は、われいまだ、夢にも見きかず。いともいとも悲しき事ならずや。
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『玉勝間』十四の巻 天から人の、何につけても天天と云うは、神有る事を知らざる故のひがことなり。天は、ただ神のまします国にこそ有れ。心も、行いも、道も、何も、有る物にはあらず。いわゆる天命、天道など云うは、みな神のなし給う事にこそ有れ。又天地は、万物を生育する物と思うもひがことなり。万物の生育するも、みな神の御しわざなり。天地は、ただ神のこれを生育し給う場所のみなり。天地のこれを生育するにはあらず。から人の云わく、天聖人に命じて、暴を征伐して、民を安ぜしむと云えり。然らば、天のしわざは、正しき物にして、ひがことは無き物と聞こえたるに、世の中には、理にたがいたる事の多きはいかに。その理にたがいたる事あれども、ただ天の命なればせんかた無しとのみ云いて、その天のひがことするをば、とがめざるはいとおかし。天もひがことするならば、かの聖人に命じて、君を亡ぼして、天下をとらせたるも、天のひがことと云うべし。
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『玉勝間』十四の巻 道神の道は、世にすぐれたるまことの道なり、みな人知らではかなわぬ皇国の道なるに、わずかに糸筋ばかり世にのこりて、ただまことならぬ、他の国の道々のみはびこりにはびこれるは、いかなる事にか。まがつひの神の御心は、すべ無き物なりけり。
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