玉勝間 / 十四の巻 世の人のこざかしき事云ふをよしとする事
世の中のこざかしき人は、いはゆる道歌のさまなる俗歌をよみて、さとりがましき事をよく云ふものなり。或は身こそやすけれなど云ひて、わが心のさとりにて身のやすきよしを詠むこと、みな儒佛にへつらひたる僞ごとなり。まことには、わが身を安しとして、足事を知れる者は無きものなり。たとへば人の齡など、七十に及ぶは、まことに稀れなる事なれば、七十までも長らへては、はやく足れりと思ふべき事なれども、人みな猶足れりとは思はず。末のみじかき事をのみ歎きて、九十までも、百歳までも生まほしく思ふぞ、まことの情なりける。
新字:世の中のこざかしき人は、いはゆる道歌のさまなる俗歌をよみて、さとりがましき事をよく云ふものなり。或は身こそやすけれなど云ひて、わが心のさとりにて身のやすきよしを詠むこと、みな儒仏にへつらひたる偽ごとなり。まことには、わが身を安しとして、足事を知れる者は無きものなり。たとへば人の齢など、七十に及ぶは、まことに稀れなる事なれば、七十までも長らへては、はやく足れりと思ふべき事なれども、人みな猶足れりとは思はず。末のみじかき事をのみ嘆きて、九十までも、百歳までも生まほしく思ふぞ、まことの情なりける。
書き下し
世の中のこざかしき人は、いわゆる道歌のさまなる俗歌をよみて、さとりがましき事をよく云うものなり。或いは身こそやすけれなど云いて、わが心のさとりにて身のやすきよしを詠むこと、みな儒仏にへつらいたる偽りごとなり。まことには、わが身を安しとして、足る事を知れる者は無きものなり。たとえば人の齢など、七十に及ぶは、まことに稀れなる事なれば、七十までも長らえては、はやく足れりと思うべき事なれども、人みななお足れりとは思わず。末のみじかき事をのみ歎きて、九十までも、百歳までも生きまほしく思うぞ、まことの情なりける。
現代語訳
世の中の小賢しい人は、いわゆる道歌のような俗な歌を詠んで、悟ったようなことをよく言うものである。あるいは「身こそ安けれ」などと言って、自分の心の悟りによって身が安らかだということを詠むのは、みな儒教や仏教にへつらった偽りごとである。本当は、我が身を安らかだとして足ることを知っている者はいないものである。たとえば人の寿命なども、七十歳に及ぶのはまことにまれなことなので、七十歳まで長生きしたなら、もう十分だと思ってよいはずのことであるが、人はみなまだ十分だとは思わない。残りの短いことばかりを嘆いて、九十歳までも百歳までも生きたいと思うのが、本当の人情なのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 兼好法師が詞のあげつらひ人の心は、うれしき事は、さしも深くは覚えぬものにて、ただ心にかなわぬ事ぞ、深く身にしみては覚ゆるわざなれば、すべてうれしきを詠める歌には、心深きは少なくて、心にかなわぬすじを、悲しみ憂えたるに、哀れなるは多きぞかし。然りとて、わびしく悲しきを、みやびたりとてねがわむは、人のまことの情ならめや。また同じ法師の、人はよそじに足らで死なむこそ、めやすかるべけれと云えるなどは、中ごろよりこなたの人の、みな歌にも詠み、常にも云うすじにて、命長からん事をねがうをば、心ぎたなき事とし、早く死ぬるを、めやすき事に云い、この世をいとい捨つるを、いさぎよき事とするは、これみな仏の道にへつらえるものにて、多くはいつわりなり。言にこそさも云え、心のうちには、誰かはさは思わむ。たとい、まれまれには、まことに然か思う人の有らんも、もとよりの真心には有らず、仏の教えにまどえるなり。人のまごころは、いかにわびしき身も、早く死なばやとは思わず、命惜しまぬ者は無し。されば万葉などの頃までの歌には、ただ長く生きたらん事をこそねがいたれ、中頃よりこなたの歌とは、その心うらうえなり。
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『玉勝間』四の巻 うはべをつくる世のならひうまき物くわまほしく、よききぬ着まほしく、よき家に住ままほしく、宝得ままほしく、人に尊まれまほしく、命ながからまほしくするは、皆人の真心なり。然るにこれらを皆よからぬ事にし、ねがわざるをいみしき事にして、すべてほしからず、ねがわぬ顔する者の、世に多かるは、例のうるさきいつわりなり。また世に先生などあおがるる物知り人、あるいは上人など尊まるる法師など、月花を見ては、あわれとめづる顔すれども、よき女を見ては、目にもかからぬかおして過ぐるは、まことに然るにや。もし月花をあわれと見る情しあらば、ましてよき女には、などか目の移らざらむ。月花はあわれなり、女の色は目にもとまらずと云わんは、人とあらむ者の心にあらず、いみしきいつわりにこそ有りけれ。しかは有れども、万づにうわべを作りかざるは、なべての世のならいにし有れば、これらは、いつわりとて、さしもとがむべきには有らずなん。
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『玉勝間』十一の巻 足ことを知ると云ふ事たることを知ると云うは、もろこし人の常に、いみじきわざにすめる事なるを、これまことにいと善き事にて、しか思いとらば、程々につけて、誰も誰も、心はいと安かりぬべきわざにぞ有りける。然はあれども、高きみじかき、ほどほどに望みねがう事の尽きせぬぞ、世の人の真情にて、今は足りぬと覚ゆる世は無きものなるを、世には足ること知れるさまに云いて、さるかおする人の多かるは、例のからようの作り事にこそは有れ。まことにきよく然思いとれる人は、千万の中にも、有りがたかるべきわざにこそ。
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『玉勝間』八の巻 今の人の歌文ひがこと多き事近き世の人のは、歌も文も、大かたはよろしと見ゆるにも、猶ひが事の多きぞかし。されど其のたがえるふしを、見知れる人はた世に無ければ、唯だかいなでに、此処かしこえんなる詞を使い、よしめきて、詠みなし書き散らしたるをば、誠に善しと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したり顔すめる、いとかたはら痛く、おこがましくさえぞ思わるる。さるにつけては、斯く云うおのが物する事も、猶いかにひが事有らむと、物よく見知れらむ人の心ぞ、恥しかりける。人のひが事の、よく見え分かるるにつけては、我はよくわきまえたれば、ひが事はせずと、思いほこれど、古えの事の心をさとり知るすじは、限り無きわざにし有れば、此外あらじとは、いとなん定め難きわざなりける。
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『玉勝間』十四の巻 から人の語かしこく云ひとれること昔より、世々に、もろこし人の云える、名高き語どもを思うに、ただかしこく物にたとえもし、又ただにても、おかしく云いとれるのみにこそあれ。その心は、学文もせぬ常の人も、心かしこきは、大かた皆もとよりよく心得たる事にて、さしも心に及ばずめずらしき事は無し。されどよく云いとれるがかしこさに、げにさこそは有れと、みな人は感ずるなり。
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『玉勝間』四の巻 兼好法師が詞のあげつらひすべて何事も、なべての世の人の真心にさかいて、ことなるを善き事にするは、外国のならいのうつれるにて、心を作り飾れる物と知るべし。
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