玉勝間 / 一の巻 学問して道を知る事
學問して道を知らむとならば、まづ漢意を〓くのぞき去るべし。から意の〓くのぞこらぬ程は、いかに古書を讀みても考へても、古、の意は知りがたく、古、の心を知らでは、道は知りがたきわざになむ有ける。そもそも道は、もと學問をして知る事にはあらず、生れながらの眞心なるぞ、道には有りける。眞心とは、善くも惡しくも、生れつきたるままの心を云ふ。然るに後の世の人は、おしなべてかの漢意にのみ移りて、眞心をば失ひはてたれば、今は學問せざれば、道をえ知らざるにこそ有れ。
新字:学問して道を知らむとならば、まづ漢意を〓くのぞき去るべし。から意の〓くのぞこらぬ程は、いかに古書を読みても考へても、古、の意は知りがたく、古、の心を知らでは、道は知りがたきわざになむ有ける。そもそも道は、もと学問をして知る事にはあらず、生れながらの真心なるぞ、道には有りける。真心とは、善くも悪しくも、生れつきたるままの心を云ふ。然るに後の世の人は、おしなべてかの漢意にのみ移りて、真心をば失ひはてたれば、今は学問せざれば、道をえ知らざるにこそ有れ。
書き下し
学問して道を知らむとならば、まづ漢意をきよくのぞき去るべし。から意のきよくのぞこらぬ程は、いかに古書を読みても考えても、古の意は知りがたく、古の心を知らでは、道は知りがたきわざになむ有りける。そもそも道は、もと学問をして知る事にはあらず、生まれながらの真心なるぞ、道には有りける。真心とは、善くも悪しくも、生まれつきたるままの心を云う。然るに後の世の人は、おしなべてかの漢意にのみ移りて、真心をば失いはてたれば、今は学問せざれば、道をえ知らざるにこそ有れ。
現代語訳
学問をして道を知ろうとするならば、まず漢意をきれいに取り除くべきである。漢意がきれいに取り除かれないうちは、どんなに古書を読んでも考えても、古の意は知りがたく、古の心を知らなくては、道は知りがたいものなのである。そもそも道は、もともと学問をして知ることではない。生まれながらの真心こそが道なのである。真心とは、善くも悪くも、生まれついたままの心をいう。ところが後の世の人は、おしなべてあの漢意にばかり移って真心を失い果ててしまったので、今は学問をしなければ道を知ることができないのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十の巻 物まなびの心ばへ皇国の学びとて、ことにする事は無くて、昔は、ただから学びをのみしける程に、世々をふるままに、古えの事は、ようようにうとくのみ成りゆき、から国の事は、ようように親しくなりもて来つつ、ついにその心は、もはらからざまにうつり果てて、上つ代の事は、物の意はさらにも云わず、言葉だに、聞きしらぬ異国のさえずりを聞くがごと、物うとくぞなりにける。かくて後にいたりて、皇国の学を、もはらとする事も始まりつれども、しか漢意の、久しくしみ附きたる人心にし有れば、ただ名のみこそ、みくにの学びには有りけれ、云いと云い、思いと思う事は、なおみなからにぞ有りけるを、みずからも、さは覚えざるなめり。されば近き世、学びの道ひらけて、万づさかしくなりぬるにつけても、なかなかにそのからごころのみ、深く盛りには成りて、古の意は、いよいよ遥かになむなりにけるを、この近き頃になりてぞ、そこに心つきぬる人の出で来そめて、世は皆からなる事をさとりて、人も我も、古えの心をたずぬる道の、明り初めぬる、しかすがに神直毘大直毘の神のましましける世は、なお行くさきいと頼もしくなむ。
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『玉勝間』二の巻 道をおこなふさだ道をおこなう事は、君とある人のつとめなり、物まなぶ者のわざには有らず。もの学ぶ者は、道を考え尋ぬるぞつとめなりける。吾は斯くの如く思いとれる故に、みずから道をおこなわむとはせず、道を考え尋ぬる事をぞつとむる。そもそも道は、君の行い給いて、天の下に敷きほどこらし給うわざにこそ有れ。今のおこない道にかなわざらむからに、下なる者の、改め行わむは、わたくし事にして、なかなかに道の心にあらず。下なる者はただ、善くも有れ悪しくも有れ、上の御おもむけに従いおる物にこそあれ。古の道を考え得たらんからに、私に定めて行うべきものには有らずなむ。
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『玉勝間』七の巻 道を説く事はあだし道道の意にも世の人のとりとらざるにもかかはるまじき事道を説かむに儒にまれ、老にまれ、仏にまれ、稀れ稀れに心ばえの通える所の有るを捉えて、おのが心のひくかたにまかせて、通わぬ所をも、すべてその筋に引きよせて説きなし、或いはまた他道と同じからん事を、いといさけて、殊更にけじめを見せ、さまを変えて説かむとする、これら皆いとあじきなくしいたるわざなり似ざらむも似たらむも、異ならむも同じからむも、とにかくに異道の意には、いささかもかかわるべきわざにあらず。またかく説きたらむには、世にうけひかじ、かく云いてこそ、人は信ぜめなど、世の人の心をとりて、いささかも説き曲げむ事は、またいと有るまじく、心ぎたなきわざなり。すべて世の人の褒め謗りをも、思うべきにはあらず。たとい、あだし道々とは、うらうえのたがいあり、世にも絶えて信ずる人無からむにても、ただ神の御ふみの趣のままにこそは、説くべきわざなりけれ。
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うひ山ぶみ・注[ヘ]初学のともがらは宣長が著したるいはざらんは、かへりて初学のために、忠実ならざれば、あしくいはむ人には、いかにもいはれんかし、第一に漢意儒意を云々、おのれ何につけても、ひたすら此事をいふは、ゆゑなくみだりに、これをにくみてにはあらず、大きに故ありていふ也、その故は、古の道の意の明らかならず、人みな大にこれを誤りしたゝめたるは、いかなるゆゑぞと尋ぬれば、みな此漢意に心のまどはされ居て、それに妨げらるゝが故也、これ千有余年、世ノ中の人の心の底に染マ着てある、痼疾なれば、とにかくに清くはのぞこりがたき物にて、近きころは、道をとくに、儒意をまじふることの、わろきをさとりて、これを破する人も、これかれ聞ゆれども、さやうの人すら、なほ清くこれをまぬかるゝことあたはずして、その説ところ、畢竟は漢意におつるなり、かくのごとくなる故に、道をしるの要、まづこれを清くのぞき去ルにありとはいふ也、これを清くのぞきさらでは道は得がたかるべし、初学の輩、まづ此漢意を清く除き去て、やまとたましひを堅固くすべきことは、
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『玉勝間』七の巻 おのれとり分て人につたふべきふし無き事おのれは、道の事も歌の事も、あがたいのうしの教えのおもむきによりて、ただ古の書どもを、考えさとれるのおのれは、考えさとれるのみこそ有れ、その家の伝えごととては、うけ伝えたる事更に無ければ、家々のひめことなど云うかぎりは、いかなる物にか、一つだに知れる事無し。されば又、人にとりわきて殊に伝うべきふしも無し。総て善き事は、いかにもいかにも、世に弘くせまほしく思えば、古の書どもを考えて、さとり得たりと思うかぎりは、みな書に書きあらわして、露も残しこめたる事は無きぞかし。おのずからも、おのれに従いて、物まなばむと思わむ人有らば、ただあらわせる書どもを、よく見て有りぬべし。そをはなちて外には、更に教うべきふしは無きぞとよ。
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