玉勝間 / 四の巻 兼好法師が詞のあげつらひ
すべて何事も、なべての世の人のま心にさかひて、ことなるを善き事にするは、外國のならひのうつれるにて、心をつくりかざれる物と知るべし。
新字:すべて何事も、なべての世の人のま心にさかひて、ことなるを善き事にするは、外国のならひのうつれるにて、心をつくりかざれる物と知るべし。
書き下し
すべて何事も、なべての世の人の真心にさかいて、ことなるを善き事にするは、外国のならいのうつれるにて、心を作り飾れる物と知るべし。
現代語訳
総じて何事も、世の人一般の真心に逆らって、変わったことを善いことにするのは、外国の習わしが移ってきたものであって、心を作り飾ったものであると知るべきである。
解説
兼好批判の段の結論を、一般の原理として述べた短い一段である。何事であれ、世の人が自然に抱く真心に逆らい、人と違うことをかえって善いこととするのは、外国の習いが移ってきたもので、心を作り飾ったものだと知れ、と宣長は言う。ここでいう外国の習いとは、欲を抑えることを尊ぶ儒学や、世を厭うことを説く仏教の教えを指している。花の盛りより散り際を愛で、長寿より早世を潔しとし、欲しいものを欲しがらない顔をする。そうした逆張りの美学は、人の自然な心から生まれたものではなく、教えによって作られたものだ、というのである。人と違う感じ方を深さや賢さと取り違えていないか、と問いかける言葉として、今も鋭さを失っていない。
関連する章句
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