玉勝間 / 十四の巻 又
同書に、大御所樣は、奢たる事を、殊外御嫌被成云云、天下を御取被成候而も、御出行の時は、十文字御鑵直錯只貳本、御長刀一振斗なり。御鷹野も、十度に八度は、御馬に召候。御袖の內へ、御手を被爲入候事遂になし。極寒にも、手綱御自身御取被成候。
新字:同書に、大御所様は、奢たる事を、殊外御嫌被成云云、天下を御取被成候而も、御出行の時は、十文字御鑵直錯只貳本、御長刀一振斗なり。御鷹野も、十度に八度は、御馬に召候。御袖の内へ、御手を被為入候事遂になし。極寒にも、手綱御自身御取被成候。
書き下し
同じく書に、大御所様は、奢りたる事を、殊の外御嫌い成され云云、天下を御取り成され候ても、御出行の時は、十文字の御鑓、直鑓ただ二本、御長刀一振りばかりなり。御鷹野も、十度に八度は、御馬に召し候。御袖の内へ、御手を入れさせられ候事ついになし。極寒にも、手綱御自身御取り成され候。
現代語訳
同じ書に、「大御所様(家康)は、贅沢なことをことのほかお嫌いになった(中略)。天下をお取りになってからも、お出かけの時は、十文字槍と素槍がただ二本、長刀が一振りだけであった。鷹狩りも、十度のうち八度は馬にお乗りになった。お袖の中へ手をお入れになることは決してなかった。厳しい寒さの時でも、手綱はご自身でお取りになった」とある。
解説
前段に続いて『板坂卜斎覚書』から、徳川家康の質素で自らを律した日常を伝える記事を引いた段である。天下を取った後も、外出の行列の武具は槍二本と長刀一振りだけで、鷹狩りにも多くは自ら馬に乗り、寒い日でも袖に手を入れず、手綱を自分で取ったという。華美を嫌い、天下人となっても戦国武将としての心構えを失わなかった家康の姿が、側近の目を通して具体的に描かれている。宣長は評を加えていないが、前の段で為政者には軍書を読めと勧めた流れの中で、天下を治めた人の身の処し方を示す例として書き留めたのであろう。上に立つ人ほど自らを律するべきだという教えは、地位や富を得た後にどう振る舞うかという、いつの時代にも問われる問題である。
関連する章句
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『玉勝間』十四の巻 又同じく書に、大御所様、小身なる侍どもに、つねづね御教訓には、云云、昔よりのたとえに、犬犬三年人一代、人人三年犬一代と申し候。犬なりときたなく云われ、三年始末致し候えば、奉公もなり、傍輩に無心も謂わず、一代人倫のまじわりにて通り申し候。酒宴好き振舞好き致し、むさと使い崩し候えば、三年はさてさて、無欲心、きれいなる人やとほめ候えども、やがてすり切れ、人馬も持ち得ず、人の物をかりて返さず、出陣の供も成りかね、一代世間に、犬畜生といやしめ笑われ候。これを人人三年犬一代と申し候。常々酒呑み料理好き致し、武道をわきへ致し候輩は、犬畜生同前なりと申すたとえなりと、常々仰せられ候。
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『秘本玉くしげ』上 戦国のままの年貢大がた此戦国の時のもやうは、田畑の物成の内わづかに農民の命をつづけて飢に及ばぬほどを百姓の手にのこして、其余は皆年貢に取れるくらゐの事なりしは、甚しき事ならずや。さて豊臣關白の御世に天下一統に治まりて、何事も法制定まりてみだりなる事は止めぬれ共、年貢の分量は大抵もとの戦国の時のままにて、旧にかへり減じたる事もなかりき。次に東照神御祖命の御時も同じ事なり。此時世中治平に帰して軍事は止むといへども、かの戦国の時のもやう年代を経て久しく其ならひに成ぬることなれしば、俄に天下の武士を減少し玉ふべきやうもなければ、たとひいかほど御志はましましても、年貢も俄に減じ玉ふことはなりがたき自然の勢なれば、其分にて今に至れる也。されば今の世の年貢は、かの戦国のころのままなれば至て多きと也。
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葉隠・聞書第二家康公、或時(あるとき)、御軍(おんいくさ)利あらず、後(のち)の評判に、「家康は大勇気の大将なり。討死の士卒一人も後向きて死にたるものなし。皆敵陣の方を枕にして死にて居り候。」と沙汰これあり候由(そうろうよし)。武士は、日頃の心掛が死後にまで顕(あらわ)れ申すものにて、恥かしき事となり。
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『甲陽軍鑑』品第四十扨て家康は義元公討死より以降十年内外の国持ちなるが、駿河さかりの作法をおさなくて見きいたる儀ならん、信玄公の奉行衆公事さばく、様子に少し相似たるごとくなり、何にても公事の落着はめづらしき事きかね共、それは昨今の家康国持なる故、各々の感じ給ふことはまだ十年過ぎてもあるまじ、あの若き家康申付る三人の奉行に三様の形義をいひつけたるとみへて、仏かうりき·鬼作左·どちへんなしの天野三兵と浜松にて落書にたてたると聞く、
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『甲陽軍鑑』品第四十家康此ほどの国持ちなれども、道理非をわけたる大将故、如此悪き大将ならば馬をころしたるとて三左衛門に腹を切らせん、家康はさなくして赦免の儀国持大将のくはしきせんさく手本是也と存知、高坂弾正が爰に書きしるすなり、
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『甲陽軍鑑』品第四十是れは小身なる侍の事、大身の上には一のおほへ大合戦こぜりあひ、二のおぼへ城せめ、第一には人をよく見知、国の仕置見る事になさるゝ事、是は又国半国とも、もつ大将の御手抦是なり、然る間右の家康は十二年以前に十九歳にて尾州大高の覚へ、三河国一の宮の後詰、同かんだいじの合戦、吉良にての合戦、山中の平ぜめ信長すけ、江州あね川合戦偏へに家康武功故信長の勝利と云ふ、同若狭の国にて信長にすてられたる時の家康はたらき、遠州懸川にて今川氏真をせめて氏真に降参させ申事、其外三河国において七年に大方七度の合戦有りと聞く、
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