玉勝間 / 十四の巻 天
から人の、何につけても天天と云ふは、神有る事を知らざる故のひがことなり。天は、唯だ神のまします國にこそ有れ。心も、行ひも、道も、何も、有る物にはあらず。いはゆる天命、天道など云ふは、みな神のなし給ふ事にこそ有れ。又天地は、萬物を生育する物と思ふもひがことなり。萬物の生育するも、みな神の御しわざなり。天地は、唯だ神のこれを生育し給ふ塲所のみなり。天地のこれを生育するにはあらず。から人の云く、天聖人に命じて、暴を征伐して、民を安ぜしむと云へり。然らば、天のしわざは、正しき物にして、ひがことは無き物と聞えたるに、世ノ中には、理にたがひたる事の多きはいかに。その理にたがひたる事あれども、唯だ天の命なればせんかた無しとのみ云ひて、その天のひがことするをば、とがめざるはいとをかし。天もひがことするならば、かの聖人に命じて、君を亡して、天下をとらせたるも、天のひがことと云ふべし。
新字:から人の、何につけても天天と云ふは、神有る事を知らざる故のひがことなり。天は、唯だ神のまします国にこそ有れ。心も、行ひも、道も、何も、有る物にはあらず。いはゆる天命、天道など云ふは、みな神のなし給ふ事にこそ有れ。又天地は、万物を生育する物と思ふもひがことなり。万物の生育するも、みな神の御しわざなり。天地は、唯だ神のこれを生育し給ふ塲所のみなり。天地のこれを生育するにはあらず。から人の云く、天聖人に命じて、暴を征伐して、民を安ぜしむと云へり。然らば、天のしわざは、正しき物にして、ひがことは無き物と聞えたるに、世ノ中には、理にたがひたる事の多きはいかに。その理にたがひたる事あれども、唯だ天の命なればせんかた無しとのみ云ひて、その天のひがことするをば、とがめざるはいとをかし。天もひがことするならば、かの聖人に命じて、君を亡して、天下をとらせたるも、天のひがことと云ふべし。
書き下し
から人の、何につけても天天と云うは、神有る事を知らざる故のひがことなり。天は、ただ神のまします国にこそ有れ。心も、行いも、道も、何も、有る物にはあらず。いわゆる天命、天道など云うは、みな神のなし給う事にこそ有れ。又天地は、万物を生育する物と思うもひがことなり。万物の生育するも、みな神の御しわざなり。天地は、ただ神のこれを生育し給う場所のみなり。天地のこれを生育するにはあらず。から人の云わく、天聖人に命じて、暴を征伐して、民を安ぜしむと云えり。然らば、天のしわざは、正しき物にして、ひがことは無き物と聞こえたるに、世の中には、理にたがいたる事の多きはいかに。その理にたがいたる事あれども、ただ天の命なればせんかた無しとのみ云いて、その天のひがことするをば、とがめざるはいとおかし。天もひがことするならば、かの聖人に命じて、君を亡ぼして、天下をとらせたるも、天のひがことと云うべし。
現代語訳
中国の人が何につけても天、天と言うのは、神のあることを知らないための誤りである。天は、ただ神のいらっしゃる国である。心も行いも道も、何もあるものではない。いわゆる天命、天道などと言うのは、みな神のなさることである。また天地を、万物を生み育てるものと思うのも誤りである。万物が生まれ育つのも、みな神の御しわざである。天地は、ただ神がこれを生み育てなさる場所にすぎない。天地がこれを生み育てるのではない。中国の人が言うには、天は聖人に命じて、暴虐な者を征伐させ、民を安らかにさせると言っている。そうであれば、天のしわざは正しいものであって、誤りはないものと聞こえるのに、世の中に道理に外れたことが多いのはどうしてか。その道理に外れたことがあっても、ただ天の命だから仕方がないとばかり言って、その天が誤りをするのを咎めないのはたいへん滑稽である。天も誤りをするのならば、あの聖人に命じて、君主を滅ぼして天下を取らせたのも、天の誤りと言うべきである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 漢意漢国には、おおよそ人の禍福、国の治乱など、すべて世の中のよろづの事は、みな天よりなすわざとして、天道・天命・天理など云いて、これをうえなく尊く畏るべき物とぞすなる。さるはすべて漢国には、まことの道伝わらずして、万の事はみな、神の御心御しわざなる事をえ知らざるが故に、みだりに造りもうけて云えるものなり。そもそも天は、ただ天つ神たちのまします御国のみにこそ有れ、心ある物にあらざれば、天命など云うこと有るべくもあらず。神を尊み畏れずして、天を尊み畏るるは、たとえば、いたづらに宮殿をのみ尊みおそれて、その君を尊み畏るる事を知らざるが如し。然れども、外国には、万は神の御しわざなる事をえ知らざれば、この天道・天理の説を信じ居らむも、さる事なるを、皇国には、まことの道の正しき伝えの有りながら、それをば尋ね思わずして、ただ外国のみだりなる説をのみ信じて、天と云う事を、いみじき事に心得居て、万の事に、その理をのみ云うは、いかにぞや。また太極・無極・陰陽・乾坤・八卦・五行など、ことごとしくこちたく云うなる事共も、ただ漢国人のわたくしの造説にて、まことにはその理とては有る事無し。
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『玉勝間』十四の巻 世の中の万の事は皆神の御しわざなる事世の中の万ずの事はみなあやしきを、これ奇しく妙なる神の御しわざなる事をえ知らずして、己がおしはかりの理を以て云うはいとおこなり。いかにとも知られぬ事を理を以てとかく云うは、から人のくせなり。その云う所の理は、いかさまにも云えばいわるる物ぞ。かれ古えのから人の云いおける理、後世にいたりてひがことなる事のあらわれたる事多し。またついに理のはかり難き事にあえば、これを天と云いてのがるる、皆神ある事を知らざる故なり。
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『玉勝間』一の巻 又漢国にも、神あることを、むげに知らざるにもあらず、尊みもし祀りもすめるは、まことの伝えの、かたはしは有りしならむ。然れどもこの天地をはじめ給い、国土万の物を造りなし給い、人の道をも万の事をも始め給い、世の中のよろづの事をしり行い給う神たちのまします事をば、すべてえ知らずして、これらの重く大きなる事には、ただ天をのみ云いて、ただかたわらなる小さき事にのみ、神をば云いて、この世を照らし給う日の大御神をすら、かろがろしく、ことなる事も無き物の如くして、この神をもとも畏れ尊み奉るべきことをだに知らざるは、いとあさましきわざなりかし。
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『玉勝間』八の巻 もろこしの国に丙吉と云ひし人の事又もとより陰陽をととのうなど云う事、有るべくも有らず。すべて世の中の事は、時々の天地のあるようも何も、みな神の御しわざにて、時の気のかないかなわぬなど、さらに人の知るべきわざには有らぬを、斯くことごとしげに、云いなすは、すべてかの国人のならいにて、いといとこちたく、うるさきわざなりかし。
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『直毘霊』吉凶き万事は神の御所為古の大御代に、その道を借らずて、いとよく治まりしを思え。そもそもこの天地の間に、有りとある事は、悉皆に神の御心なる中に。およそこの世の中の事は、春秋の行き変わり、雨降り風吹くたぐい、また国の上人の上の、吉凶き万事、みなことごとに神の御所為なり。さて神には、善きもあり悪しきもありて、所行もそれに従うなれば、大方尋常の理をもては、測りがたきわざなりかし。然るを世人、賢きも愚かなるもおしなべて、外国の道々の説にのみ惑い果てて、この意をえ知らず。皇国の学問する人などは、古書を見て、必ず知るべきわざなるを、さる人どもだに、え弁え知らざるは、いかにぞや。抑吉凶き万の事を、あだし国にて、仏の道には因果とし、漢の道々には天命と言いて、天のなすわざと思えり。これらみな僻事なり。そが中に仏道の説は、多く世の学者の、よく弁えつることなれば、今言わず。漢国の天命の説は、賢き人もみな惑いて、いまだ僻事なることを悟れる人なければ、今これを論い悟さむ。
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『直毘霊』天命は託言なりそもそも天命ということは、かの国にて古に、君を滅し、国を奪いし聖人の、己が罪をのがれむために、かまえ出したる託言なり。まことには、天地は心ある物にあらざれば、命あるべくもあらず。
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