徂徠先生答問書 / 卷中
一しか〳〵の儀被仰聞候趣尤には候へ共、餘り御仰天過候と存候。只今迄の政務天心に應じ不申候はゞ、御仰天被成候とも天罰は御遁れ有間敷候。天を御敬候て過を改め德を脩るにしくは無御座候。聖人の敎の外に別に祈禱の法は有間敷候。左候はゞ天心は返り不申候。返り不申候共天命は遁るゝ所無御座候。仰天は無益に候。妖不勝德といひ、また妖由人興と相見え候。人心の騷動より妖怪はおこると申事に候。大將の心騷動候はゞ、下の騷動は止申間敷候。不知命無以爲君子と孔子も被仰候。天命を不存候へば覺悟はすはり不申候。任下問不顧慮外申進候。頓首。
新字:一しか〳〵の儀被仰聞候趣尤には候へ共、余り御仰天過候と存候。只今迄の政務天心に応じ不申候はゞ、御仰天被成候とも天罰は御遁れ有間敷候。天を御敬候て過を改め徳を脩るにしくは無御座候。聖人の教の外に別に祈祷の法は有間敷候。左候はゞ天心は返り不申候。返り不申候共天命は遁るゝ所無御座候。仰天は無益に候。妖不勝徳といひ、また妖由人興と相見え候。人心の騷動より妖怪はおこると申事に候。大将の心騷動候はゞ、下の騷動は止申間敷候。不知命無以為君子と孔子も被仰候。天命を不存候へば覚悟はすはり不申候。任下問不顧慮外申進候。頓首。
書き下し
一しか〳〵の儀被仰聞候趣尤には候へ共、余り御仰天過候と存候。只今迄の政務天心に応じ不申候はゞ、御仰天被成候とも天罰は御遁れ有間敷候。天を御敬候て過を改め徳を脩るにしくは無御座候。聖人の教の外に別に祈祷の法は有間敷候。左候はゞ天心は返り不申候。返り不申候共天命は遁るゝ所無御座候。仰天は無益に候。妖不勝徳といひ、また妖由人興と相見え候。人心の騷動より妖怪はおこると申事に候。大将の心騷動候はゞ、下の騷動は止申間敷候。不知命無以為君子と孔子も被仰候。天命を不存候へば覚悟はすはり不申候。任下問不顧慮外申進候。頓首。
現代語訳
しかじかの件のお申し越しはもっともですが、あまりに驚き過ぎておられると存じます。これまでの政務が天の心に応じていなかったのなら、驚かれても天罰は逃れられないでしょう。天を敬って過ちを改め、徳を修めるにまさることはございません。聖人の教えのほかに別の祈祷の法はないでしょう。そうでなければ天の心は戻りません。戻らなくても天命は逃れるところがございません。驚くのは無益です。「妖は徳に勝たず」といい、また「妖は人に由りて興る」と見えます。人の心の騒動から妖怪は起こるということです。大将の心が騒げば、下の騒動は止まないでしょう。「命を知らざれば以て君子たること無し」と孔子もおっしゃいました。天命を知らなければ覚悟は据わりません。お尋ねに任せ、無礼を顧みず申し上げます。頓首。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尚書・多士惟れ三月、周公初めて新邑の洛に于(お)いて、用て商王の士に告ぐ。王若(かく)のごとく曰く、「爾殷の遺れる多士よ。弔(あは)れまれず、旻天大いに喪を殷に降す。我有周は命を佑け、天の明威を将ひ、王の罰を致し、殷の命を勑(ただ)して帝に終へしむ。肆(ゆゑ)に爾多士よ、我が小国の敢へて殷の命を弋(と)るに非ず。惟れ天畀(あた)へず、允(まこと)に乱を固くする罔からしめ、我を弼く。我其れ敢へて位を求めんや。惟れ帝畀へず、惟れ我が下民の秉り為すところは、惟れ天の明畏なり。我聞く、曰く、上帝は逸を引く、と。有夏は逸に適はず、則ち惟れ帝格を降し、時の夏に嚮ふ。帝を庸(もち)ふる克はず、大いに淫泆し、辞有り。惟れ時に天念聞する罔く、厥れ惟れ元命を廃し、罰を降致す。乃ち爾の先祖成湯に命じて夏を革め、俊民をして四方を甸(をさ)めしむ。成湯より帝乙に至るまで、徳を明らかにし祀を卹(うれ)へざる罔し。亦惟れ天丕いに建て、有殷を保乂す。殷王も亦敢へて帝を失ふ罔く、天に配して其の沢あらざる罔し。今の後嗣の王に在りては、誕いに天に顕らかなる罔し。矧(いは)んや曰く其れ先王の家に勤めしを聴念する有らんや。誕いに厥の泆に淫し、天の顕らかなると民の祗(つつし)むとを顧みる罔し。惟れ時に上帝保たず、茲の若き大喪を降す。惟れ天は其の徳を明らかにせざるに畀へず。凡そ四方の小大の邦の喪ぶるは、罰に辞有らざる罔し。」王若のごとく曰く、「爾殷の多士よ。今惟れ我が周王は丕いに霊しく帝の事を承け、命有りて曰く『殷を割(た)て』と、帝に告勑す。惟れ我が事は貳適せず、惟れ爾の王家は我に適す。予其れ曰く、『惟れ爾洪いに度無し。我は爾を動かさず、乃の邑よりす』と。予も亦念ふ、天は殷に即いて大いに戾(つみ)し、肆に正さず。」王曰く、「猷(ああ)、爾多士に告ぐ。予惟れ時れ其れ爾を西に遷居せしむ。我一人の徳を奉じて康寧ならざるに非ず、時れ惟れ天命なり、違ふ無かれ。朕敢へて後(おく)るること有らず、我を怨む無かれ。惟れ爾知る、
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『童子問』卷下問ふ、命を知るの説。曰く、天に必然の理有り、人に自取の道有り。易に曰く、積善の家には必ず余慶有り、積不善の家には必ず余殃有りと。是れ天に必然の理有るを謂ふなり。詩に曰く、永く言に命に配し、自ら多福を求むと。是れ人に自取の道有るを謂ふなり。文王羑里に死せず、孔子陳蔡に害せられず。此れ天に必然の理有るに非ずや。孔子曰く、天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せんと。又曰く、天徳を予に生ず、桓魋其れ予を如何せんと。此れ人に自取の道有るに非ずや。夫れ人自ら取りて、而る後に天之に命ず。天の命ずる所の者は、便ち人の自ら取る所なり。慎まざるべけんや。
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『長短経』運命此れ略其の本を言いて其の詳を語らず。嘗試みに之を論じて曰く、命なる者は、天の授くるなり。徳なる者は、命の本なり。皇霊は陰かに下人を隲し、冥兆に定むと雖も、然れども興亡・長短は、徳を以て準と為す。若し徳曩に循えば、則ち命今に定まる。然らば則ち今の定命は、皆曩の徳なること明らかなり。夫れ命の徳に在れば、則ち吉凶禍福は天に由らず。命今に定まれば、則ち賢聖・鬼神も移すこと能わず。故に君子は心を尽くし、力を尽くして、以て命を邀うるなり。此れ運命の至りなり。〕易に曰く「理を窮め性を尽くして、以て命に至る」と。此の謂いなり。
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尚書・大禹謨予乃(なんぢ)の徳を懋(ほ)め、乃の丕績(ひせき)を嘉(よみ)す。天の暦数汝の躬(み)に在り、汝終(つひ)に元后に陟(のぼ)らん。
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『玉勝間』十四の巻 天から人の、何につけても天天と云うは、神有る事を知らざる故のひがことなり。天は、ただ神のまします国にこそ有れ。心も、行いも、道も、何も、有る物にはあらず。いわゆる天命、天道など云うは、みな神のなし給う事にこそ有れ。又天地は、万物を生育する物と思うもひがことなり。万物の生育するも、みな神の御しわざなり。天地は、ただ神のこれを生育し給う場所のみなり。天地のこれを生育するにはあらず。から人の云わく、天聖人に命じて、暴を征伐して、民を安ぜしむと云えり。然らば、天のしわざは、正しき物にして、ひがことは無き物と聞こえたるに、世の中には、理にたがいたる事の多きはいかに。その理にたがいたる事あれども、ただ天の命なればせんかた無しとのみ云いて、その天のひがことするをば、とがめざるはいとおかし。天もひがことするならば、かの聖人に命じて、君を亡ぼして、天下をとらせたるも、天のひがことと云うべし。
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史記 宋微子世家司馬唐山太子肥を攻め殺し、華元を殺さんと欲す。華元晋に犇(はし)らんとす。魚石之を止め、河に至りて乃ち還り、唐山を誅す。乃ち共公の少子戌を立つ。是を平公と為す。平公の三年、楚の共王宋の彭城を抜き、以て宋の左師魚石を封ず。四年、諸侯共に魚石を誅し、而して彭城を宋に帰す。三十五年、楚の公子囲其の君を弑して自立し、霊王と為る。四十四年、平公卒し、子の元公佐立つ。元公の三年、楚の公子棄疾霊王を弑し、自立して平王と為る。八年、宋に火あり。十年、元公信毋く、詐りて諸公子を殺す。大夫華・向氏乱を作す。楚の平王の太子建来奔す。諸華氏の相攻めて乱るるを見て、建去りて鄭に如く。十五年、元公魯の昭公の季氏を避けて外に居るが為に、之が為に魯に入らんことを求め、道を行きて卒し、子の景公頭曼立つ。景公の十六年、魯の陽虎来奔し、已にして復た去る。二十五年、孔子宋を過ぐ。宋の司馬桓魋之を悪み、孔子を殺さんと欲す。孔子微服して去る。三十年、曹宋に倍き、又晋に倍く。宋曹を伐つ。晋救はず。遂に曹を滅ぼして之を有つ。三十六年、斉の田常簡公を弑す。三十七年、楚の恵王陳を滅ぼす。熒惑心を守る。心は宋の分野なり。景公之を憂ふ。司星子韋曰く、「相に移すべし」と。景公曰く、「相は吾の股肱なり」と。曰く、「民に移すべし」と。景公曰く、「君は民を待つ」と。曰く、「歳に移すべし」と。景公曰く、「歳饑うれば民困しむ。吾誰の為にか君たらん」と。子韋曰く、「天は高きも卑きに聴く。君に君人の言三つ有り。熒惑宜しく動くこと有るべし」と。是に於て之を候ふに、果たして徙ること三度。六十四年、景公卒す。宋の公子特太子を攻め殺して自立す。是を昭公と為す。昭公は、元公の曾庶孫なり。昭公の父は公孫糾、糾の父は公子褍秦、褍秦は即ち元公の少子なり。
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