呻吟語 / 内篇・問學・希天・達天・合天・為天
有希天之學,有達天之學,有合天之學,有為天之學。
新字:有希天之学,有達天之学,有合天之学,有為天之学。
書き下し
希天の學有り、達天の學有り、合天の學有り、為天の學有り。
現代語訳
天を望む学があり、天に達する学があり、天と合う学があり、天のためにする学があります。
解説
学問を天との関係で四段に分けた、短い一段です。望む、達する、合う、そして天のためにする。段が上がるにつれて距離が縮まり、最後は立場が入れ替わって天の側で働くことになります。説明は一切ありませんが、四つの動詞が段階を語っています。自分の学びがどの段にあるかを測る目盛りとして置かれた形です。最後は立場が入れ替わり、天の側で働くことになります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
天段階学問目盛り到達
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