呻吟語 / 内篇・修身・天と人と我
吉凶禍福是天主張,毀譽予奪是人主張,立身行已是我主張。此三者,不相奪也。
新字:吉凶禍福是天主張,毀誉予奪是人主張,立身行已是我主張。此三者,不相奪也。
書き下し
吉凶禍福は是れ天の主張、毀譽予奪は是れ人の主張、立身行己は是れ我の主張なり。此の三つの者は、相奪はざるなり。
現代語訳
吉凶や禍福は天が取り仕切り、毀誉や与奪は人が取り仕切り、身の立て方と己の行いは自分が取り仕切ります。この三つは、互いに奪い合いません。
解説
世の中の出来事を三つの管轄に分けます。天の管轄、人の管轄、自分の管轄。そして互いに奪い合わないと言い切ります。つまり天や人の管轄に手を出しても仕方がなく、自分の管轄だけに集中すればよいということです。心配事を三つに仕分けるだけで、手を出せる範囲がはっきりします。前に出てきた義と命の区別と同じ働きをする、実に整理された一段です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
天人自分管轄区別
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