玉勝間 / 十四の巻 神獣神鷹
もろこし今の清の代の、乾隆四十二年と云ふに、かの國人のしるせる、西域聞見錄と云ふ物に、氷山とて、氷の山あり、そこを人の往來する事をしるせる處にいはく。道路亦無一定之所、有神獸一、非狼非狐、每晨視其蹤之所往、踐而循之、必無差謬。有神鷹一大如〓、色靑白、或有迷失路徑者、輙聞鷹鳴、尋聲而往、即歸正路。件のこと、諏訪の湖の、狐の氷をわたる事。又かの八咫烏の、道引の事などに、いといとよく似たり。
新字:もろこし今の清の代の、乾隆四十二年と云ふに、かの国人のしるせる、西域聞見録と云ふ物に、氷山とて、氷の山あり、そこを人の往来する事をしるせる処にいはく。道路亦無一定之所、有神獣一、非狼非狐、毎晨視其蹤之所往、践而循之、必無差謬。有神鷹一大如〓、色青白、或有迷失路径者、輙聞鷹鳴、尋声而往、即帰正路。件のこと、諏訪の湖の、狐の氷をわたる事。又かの八咫烏の、道引の事などに、いといとよく似たり。
書き下し
もろこし今の清の代の、乾隆四十二年と云うに、かの国人のしるせる、西域聞見録と云う物に、氷山とて、氷の山あり、そこを人の往来する事をしるせる処にいわく。道路また一定の所無し、神獣一有り、狼に非ず狐に非ず、毎晨その蹤の往く所を視て、践みてこれに循えば、必ず差謬無し。神鷹一有り、大きさ鵰の如く、色青白、或いは迷いて路径を失う者有れば、すなわち鷹の鳴くを聞き、声を尋ねて往けば、即ち正路に帰る。件のこと、諏訪の湖の、狐の氷をわたる事。又かの八咫烏の、道引きの事などに、いといとよく似たり。
現代語訳
中国の今の清の時代、乾隆四十二年に、あの国の人が記した『西域聞見録』という書物に、「氷山」といって氷の山があり、そこを人が行き来することを記したところに言うには、「道はまた決まった所がない。神獣が一頭いて、狼でもなく狐でもない。毎朝その足跡の向かう所を見て、踏んでそれに従えば、必ず間違いがない。神鷹が一羽いて、大きさは鷲ほどで、色は青白い。道に迷って進む道を失った者がいると、すぐに鷹の鳴く声が聞こえ、その声を尋ねて行けば、すぐに正しい道に帰れる」。このことは、諏訪湖で狐が氷を渡ること、またあの八咫烏の道案内のことなどに、たいへんよく似ている。
解説
関連する章句
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