玉勝間 / 十四の巻 宋の代明の代
もろこしの國、宋の代にいたりては、萬づの事理窟三昧にして、國政につきても、何につけても、無用の空論のみなり。明の代の人は、又見識ひらけて、宋の理窟の惡ろき事を知り、又古より世世の物知り人の說の、誤り、心もつかざりし事などをも、見つけたる人多きは、珍しき事なり。されどつひに誠の道をば知る人無くして、その代終りぬるは、神の御國にあらざるが故なり。
新字:もろこしの国、宋の代にいたりては、万づの事理窟三昧にして、国政につきても、何につけても、無用の空論のみなり。明の代の人は、又見識ひらけて、宋の理窟の悪ろき事を知り、又古より世世の物知り人の説の、誤り、心もつかざりし事などをも、見つけたる人多きは、珍しき事なり。されどつひに誠の道をば知る人無くして、その代終りぬるは、神の御国にあらざるが故なり。
書き下し
もろこしの国、宋の代にいたりては、万ずの事理屈三昧にして、国政につきても、何につけても、無用の空論のみなり。明の代の人は、又見識ひらけて、宋の理屈の悪ろき事を知り、又古より世々の物知り人の説の、誤り、心もつかざりし事などをも、見つけたる人多きは、珍しき事なり。されどついに誠の道をば知る人無くして、その代終わりぬるは、神の御国にあらざるが故なり。
現代語訳
中国の国は、宋の時代になっては、あらゆることが理屈ずくめで、国の政治についても何事につけても、役に立たない空論ばかりである。明の時代の人は、また見識が開けて、宋の理屈の悪いことを知り、また昔から代々の物知りの説の誤りや、気づかなかったことなどを見つけた人が多いのは、珍しいことである。けれども、ついに真の道を知る人がいないままでその時代が終わってしまったのは、神の御国ではないからである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 もろこし人の説こちたくくだくだしき事すべてもろこし人の物の論いは、あまりくだくだしくこちたくて、あじきなき徒ら事多し。宋儒の論いを、こちたしとてそしる儒者も多けれど、それもただいささか甚しからぬのみにこそ有れ、然か云う者もなおこちたし。
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『玉勝間』四の巻 もろこしの経書と云ふものの説とりどりなる事もろこしの国の、経書と云う物の注釈、漢より世々の儒者のと、宋の代の儒者のと、その趣きいたく異なる事多く、またその後にも、宋儒の説を、ことごとくやぶりたるも有り。そもそも経書は、かの国の道を載せたる書にて、うえも無く重き物なめれば、そのむね一つに定まらではかなわぬ事なるに、かくの如く昔より定まりがたく、とりどりなれば、ましてその外の事の、善悪是非のいささかなるけじめをば、いかでかよく定め得べきぞ。ただ皇国の古えのごと、おおらかに定めて、くだくだしき論いには及ばぬこそ、かえりてまさりては有りけれ。またかの宋儒の、格物致知窮理の教えこそ、いともいともおこなれ。うえ無く重き経書のむねをだに、よく明らめつくす事あたわずして、世々にその説とりどりなるものを、万の物の理を、誤り無くは、いかでか能くわきまえつくす事を得ん、かえすがえすおこなり。
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『玉勝間』十四の巻 国を治むるかたの学問国を治むる人の、がくもんし給わんとならば、おさまれる世には、宋学のかた、物どおけれど、全くてそこない無し。近き世の古文辞家の学問は、ようせずは、いみじきあやまちを引きいずべし。さて乱れたる世には、しばらく、もろもろの書はさしおきて、ただ近昔の戦を記したる、軍書と云うものを常によく読むべし。その世の人々の、善さ悪しさ、かしこき愚かなる、心しわざ、戦いのしようなどを、よくよく考うべし。
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『玉勝間』十二の巻 物しり人もののことわりを論ずるやう世のものしり人、人の身のうえ、世の中のことわりなどを、さまざま心高く、いとかしこげには論えども、とかく云うもかく云うも、皆からぶみの趣きにて、その垣内を出ずる事あたわざるは、いかにぞや。
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『玉勝間』十四の巻 世の人まことの道に心つかざる事もろこしの国には、道教と云うもの、世々に盛んに行われて、大かた仏道とひとしきばかりなり。この道、老子を祖とはたつれども、老子が意とはいたく異にして、ただあやしき戯れわざのようなる事にて、そのむねを極むれば、ようなきいたずら事なり。皇国に、この道のわたりもうでこざるは幸いなり。然は有れども、天の下の人の心、仏道と儒道とに、ことごとく奪われ果てたるは、又なげかしき事なり。大かた天下の人、上中下、さかしき愚かなる、おしなべて、奥山の山賤までも、仏を信ぜざるは一人も無く、その中に、角なる字をもいささか読むほどの者は、又なかば儒意をまじえて、万ずの事を思い定むめり。されば、神のまことの道を思う人は、千万人の中に、ただ一人二人にて、その余は神社につかうる人の中に、稀れ稀れさすがに己が家の業と思い得て、神の道を尊ぶもあれど、さる人も、多くは仏意儒意なり。又神の道と云うも、皆儒仏によりて説きまげたる物なれば、まことの道は、大かた絶えはてたるも同じ事なり。
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『玉勝間』十四の巻 〓誠もろこしの古書、ひたすら教誡をのみこちたく云えるは、いといとうるさし。人は教えによりて善くなる者にあらず。もとより教えをまつものには有らぬを、余りこちたくいましめ教うるから、なかなかに姦曲詐偽のみまさる事を知らず。周公旦、余りにこちたく定めたる故に、周の末の乱をおこせり。戦国の頃の人の邪智ふかきは、みな周公が教えたることなり。皇国の古書には、露ばかりもおしえがましき事見えず。このけじめをよく考うべし。教誡の厳なるを善き事と心得たるは愚かなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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