玉勝間 / 五の巻 しのぶもぢずり
されどまことに然かなりけんも知りがたきを、ひたぶるに僞言なりとは云ふべくもあらず。その石の事は、とまれかくまれ、信夫郡より出せりし事は、論無きをや。
新字:されどまことに然かなりけんも知りがたきを、ひたぶるに偽言なりとは云ふべくもあらず。その石の事は、とまれかくまれ、信夫郡より出せりし事は、論無きをや。
書き下し
されどまことに然かなりけんも知りがたきを、ひたぶるに偽言なりとは云うべくもあらず。その石の事は、とまれかくまれ、信夫郡より出だせりし事は、論無きをや。
現代語訳
けれども、本当にそうであったかどうかもわからないが、ひたすら作り話だとも言えないはずである。その石のことはともかくとして、信夫郡から産したことは議論の余地がないではないか。
解説
しのぶもじずり論を締めくくる短い段である。信夫郡の石で摺ったという言い伝えについて、宣長は、本当にそうだったかはわからないが、頭から作り話だと決めつけることもできない、と言う。そのうえで、石の話の真偽はともかく、信夫郡の産物だったことは疑いない、と結論を絞り込む。確かめられることと確かめられないことを分け、確かめられる所だけで主張を立てる。これは宣長の考証の基本の型である。真淵は伝承を偽言と切り捨てたが、宣長は切り捨てもせず、信じ込みもしない。今も福島市には「文知摺石」と呼ばれる石が名所として残る。わからないことを保留にしたまま、言える範囲ではっきり言う、という態度は、情報があふれる今こそ役に立つ。
関連する章句
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『玉勝間』五の巻 しのぶもぢずり又垣衣草のかたならんには、かの古今の歌、軒に生うるなどこそ詠むべけれ、みちのくのと詠めるは、何のよしぞや。かの国に信夫の郡と云うが有ればとて、さる遠き国の名をとり出でて、よしも無き垣衣草の枕詞には、置くべき物かは。又乱るるよしを云わむに、しのぶ草は、いとも似つかわしからず。かの草のさまは、さ云うばかり乱れたる物にはあらず。それも摺りたる形は、乱れても有るべけれど、摺りたるにつけて乱れたらんは、いずれの物のかたにても、同じ事なるべし。いたく物よりことに乱れたる形ならではかなわず。又垣衣は、とり分けて摺り染などにすべき物にも有らざるをや。さて又かの信夫の郡より出ずと云う事を破りて、布など、染めたるを諸国より貢ることは、古え見えずと云われたるも、たがえり。延喜の大蔵、内蔵などの式にも、諸国所貢の染布の色々など見えたるをや。すり衣は、おのが家々にてこそ摺りたれ、と云わるれども、さりとて、外より摺りていだす事も、などか無からん。国々より出でて名ある物を、めで用うる事は、今も昔も同じ事なり。さて信夫の郡に、石の有りしにて摺れりと云うは、いかが有りけむ。
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『玉勝間』五の巻 しのぶもぢずりしのぶもじずりと云いし物は、古今集の河原左大臣の歌の、顕昭の注に、陸奥の国の信夫の郡に、もじずりとて、髪をみだしたるように摺りたるを、しのぶずりと云うと云い、契沖が勢語臆断にも、信夫の郡より、むかし摺りて出だしたる名物なり、と云えるがごとし。然るを師の伊勢物語古意に、垣衣草の形を、紫の色もて摺りたるを云うと見えたり。陸奥の国に石二つある、その石にてすりたるよし云うは、偽言なり、昔のすり衣は、家々にてこそ摺りたれとて、己が家々にてすりたりし証を出だし、さて垣衣草の形の乱れたるをもて、おのが恋の乱れにたぐえたり、と云われたるはいかにぞや。いせ物がたりの歌にては、さ聞ゆる事も有るべかめれど、そは次に、古今集なる、河原の大臣の歌を出だして、と云う歌のこころばえなりと云えり。これしのぶのみだれと詠めるは、しのぶずりの乱れと云う意なりと、しらせたるなり。かの紫の色こきときはと云う歌の次に、むさし野のこころなるべし、と云えるをも思い合わすべし。もししのぶ草のかたを摺りたるを詠めるならば、古今の歌を引き出でたるは、用無きいたずら事なり。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事また世に名高き所などをば、外なるをも、しいておのが国おのが里のにせまほしがるならいにて、ただいささかのより所めきたる事をも、かたくとらえて、強いてここぞと云いなして、しるしを作るたぐいなど、はた世に多きを、さる心して、まどうべからず。ふみなどは、むげに見たる事無き、ひたぶるの賤の男の、覚えいて語ることは、しり口あわず、しどけなく、ひがことのみ多かれど、その中には、かえりておかしき事もまじるわざなれば、さるたぐいをも、心とどめて聞くべきわざなり。されどまた、昔なまなまの物知り人などの、尋ね来たるが、ひが定めして、ここはしかしかの跡ぞなど、教えおきたるを聞きおりて、里人は、まことにさることと信じて、子うまごなどにも、語り伝えたるたぐいも有りしなれば、うべうべしくきこゆる事も、なおひたぶるには信じがたし。またみずからそのところのさまを行き見てさだむるにも、くさぐさ心うべき事ども有り。おおかた所のさまかみさびて、木立しげく物ふりなどしたるを見れば、こここそはと、目とまる物なれど、それはたうちつけには頼みがたし。大かたなにならぬ所にも、古めきたる森はやしなどは、多く有るものなり。
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『玉勝間』四の巻 前後と説のかはる事ただしまたみづからこそ、初めのをば悪ろしと思いて、改めつれ、またのちに人の見るには、なお初めのかたよろしくて、後のはなかなかに悪ろきも無きにあらざれば、とにかくにえらびは、見む人の心になむ。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事かくて神の社にまれ、御陵にまれ、歌枕にまれ、何にまれ、遥かなる古えのを、中頃とめ失いたるを、今の世にして、尋ね定めむことは、大かたたやすからぬわざになむ有りける。そのゆえを云わむには、まずこの古き所を尋ぬるわざは、ただに古の書どもを考えたるのみにては、知りがたし。いかに委しく考えたるも、書もて考え定めたる事は、その所にいたりて見聞けば、いたく違う事の多き物なり。よそながらは、定かならぬ所も、その国にては、さすがに書も伝え、語りも伝えて、まがい無き事も有り。さればみずからその地にいたりて、見もし、そこの事よく知れる人に、問い聞きなどもせでは、事たらわず。またただ一たび物して、見聞きたるのみにても、なおたらわず。行きて見聞きて立ちかえりて、またふみどもと考え合わせて、またまたも行きて、よく見聞きたるうえならでは、定めがたかるべし。さてまたそのところの人に逢いて、問い聞くにも、心得べき事くさぐさ有り。古えの事を、あまりたしかに知りがおに語るは、多くは、書のかたはしを、なまなまに考えなどしたるものの、己がさかしらもて、定め云うが多ければ、そはいと頼みがたく、中中の物そこないなり。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事木だちなど、二三百年をも経ぬるは、いといと物ふりて見ゆるものなれば、古く見ゆるにつきても、たやすくは定めがたきわざなりかし。村の名、山川浦磯などの名に、心をつけて尋ぬべし。田どころなどのあざなと云う物などをも、よく尋ぬべし。寺の名に、古きが残れるがよく有ることなり。しかは有れどもまた、すべて名によりて、誤る事も有るわざなり。また寺々の縁起と云う物、おおかた例の法師の空ごと勝ちなれど、その中に、まれまれには取るべき事もまじれるものなれば、これはたひたぶるには捨つべきに有らず。古きあとは、中頃法師どもの、国人をあざむきて、仏どころにしなしたるが、いずれの国にも多ければ、ほとけ所をも、その心して尋ぬべし。古き寺には、古き書き物など有りて、古き事の残れる多し。むげに尋ぬべきたずき無き所も、思いかけぬところより、たしかなるしるしの出で来るようも有れば、いたらぬ限り無く、よろずに思いめぐらして、委しく尋ぬべし。かくて尋ね得たりと思うところも、なおたしかには定むべからず。世にさるべき人の定めおきつる所などは、ひがさだめなるも、ついにそこに定まりて、後のまどいとなるわざなりかし。そもそもこのくだりは、名所を尋ぬるわざのみにも有らず、万ずの考えにもわたる事どもありぬべくなむ。
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