夜船閑話 / 序
住菴の諸子各々悲泣作禮して云く、吾が師大慈大悲、願くは內觀の大略を書せよ。書して留めて後來禪病疲倦吾が輩の如き者を救へ。師卽ち頷す。立處に草稿成る。
新字:住菴の諸子各々悲泣作礼して云く、吾が師大慈大悲、願くは内観の大略を書せよ。書して留めて後来禅病疲倦吾が輩の如き者を救へ。師即ち頷す。立処に草稿成る。
書き下し
住菴の諸子各々悲泣作礼して云く、吾が師大慈大悲、願くは内観の大略を書せよ。書して留めて後来禅病疲倦吾が輩の如き者を救へ。師即ち頷す。立処に草稿成る。
現代語訳
庵に住む弟子たちは、それぞれ涙を流して礼拝して言った。わが師の大いなる慈悲をもって、どうか内観の大略を書き記してください。書いて残して、後の世に、禅の病や疲れに苦しむ、私たちのような者を救ってください。師はうなずかれた。たちどころに草稿が出来上がった。
解説
内観で救われた弟子たちが、自分たちだけで終わらせず、後の人のために書き残してほしいと願い出る場面である。救われた人が次に苦しむ人のことを思う、という恩送りの形がここにある。白隠がすぐにうなずき、たちまち書き上げたという描写には、同じ苦しみを知る者としての共感がにじむ。自分が助けられた方法を、同じ悩みを持つ次の世代に手渡す。この書そのものが、そうした願いから生まれたことを伝えている。
この章句が説くこと
恩送り伝承禅病慈悲記録後進
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