玉勝間 / 四の巻 もろこしの経書と云ふものの説とりどりなる事
もろこしの國の、經書と云ふ物の注釋、漢より世世の儒者のと、宋の代の儒者のと、その趣きいたく異なる事多く、又其後にも、宋儒の說を、ことごとくやぶりたるも有リ。そもそも經書は、かの國の道を載せたる書にて、うへも無く重き物なめれば、そのむね一つに定まらではかなはぬ事なるに、かくの如く昔より定まりがたく、とりどりなれば、まして其外の事の、善惡是非のいささかなるけぢめをば、いかでかよく定め得べきぞ。唯だ皇國の古へのごと、おほらかに定めて、くだくだしき論ひには及ばぬこそ、かへりてまさりては有りけれ。又かの宋儒の、格物致知窮理の敎へこそ、いともいともをこなれ。うへ無く重き經書のむねをだに、よく明らめつくす事あたはずして、世世に其說とりどりなるものを、萬の物の理リを、誤り無くは、いかでか能くわきまへつくす事を得ん、かへすがへすをこなり。
新字:もろこしの国の、経書と云ふ物の注釈、漢より世世の儒者のと、宋の代の儒者のと、その趣きいたく異なる事多く、又其後にも、宋儒の説を、ことごとくやぶりたるも有リ。そもそも経書は、かの国の道を載せたる書にて、うへも無く重き物なめれば、そのむね一つに定まらではかなはぬ事なるに、かくの如く昔より定まりがたく、とりどりなれば、まして其外の事の、善悪是非のいささかなるけぢめをば、いかでかよく定め得べきぞ。唯だ皇国の古へのごと、おほらかに定めて、くだくだしき論ひには及ばぬこそ、かへりてまさりては有りけれ。又かの宋儒の、格物致知窮理の教へこそ、いともいともをこなれ。うへ無く重き経書のむねをだに、よく明らめつくす事あたはずして、世世に其説とりどりなるものを、万の物の理リを、誤り無くは、いかでか能くわきまへつくす事を得ん、かへすがへすをこなり。
書き下し
もろこしの国の、経書と云う物の注釈、漢より世々の儒者のと、宋の代の儒者のと、その趣きいたく異なる事多く、またその後にも、宋儒の説を、ことごとくやぶりたるも有り。そもそも経書は、かの国の道を載せたる書にて、うえも無く重き物なめれば、そのむね一つに定まらではかなわぬ事なるに、かくの如く昔より定まりがたく、とりどりなれば、ましてその外の事の、善悪是非のいささかなるけじめをば、いかでかよく定め得べきぞ。ただ皇国の古えのごと、おおらかに定めて、くだくだしき論いには及ばぬこそ、かえりてまさりては有りけれ。またかの宋儒の、格物致知窮理の教えこそ、いともいともおこなれ。うえ無く重き経書のむねをだに、よく明らめつくす事あたわずして、世々にその説とりどりなるものを、万の物の理を、誤り無くは、いかでか能くわきまえつくす事を得ん、かえすがえすおこなり。
現代語訳
中国の経書というものの注釈は、漢以来の代々の儒者のものと、宋の代の儒者のものとで、その趣旨がひどく異なる事が多く、またその後にも、宋儒の説をことごとく打ち破ったものもある。そもそも経書は、あの国の道を載せた書であって、この上もなく重いもののようだから、その趣旨が一つに定まらなくてはならないことなのに、このように昔から定まりがたく、まちまちであるのだから、ましてそれ以外の事で、善悪是非のわずかな区別を、どうしてよく定めることができようか。ただ皇国の古のように、おおらかに定めて、くだくだしい議論には及ばないことこそ、かえって勝っているのである。またあの宋儒の「格物致知窮理」の教えこそ、まったくもって愚かである。この上なく重い経書の趣旨さえよく明らかにし尽くすことができずに、代々その説がまちまちであるのに、万物の理を誤りなく、どうしてよくわきまえ尽くすことができようか。かえすがえすも愚かである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 もろこし人の説こちたくくだくだしき事すべてもろこし人の物の論いは、あまりくだくだしくこちたくて、あじきなき徒ら事多し。宋儒の論いを、こちたしとてそしる儒者も多けれど、それもただいささか甚しからぬのみにこそ有れ、然か云う者もなおこちたし。
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『玉勝間』十四の巻 宋の代明の代もろこしの国、宋の代にいたりては、万ずの事理屈三昧にして、国政につきても、何につけても、無用の空論のみなり。明の代の人は、又見識ひらけて、宋の理屈の悪ろき事を知り、又古より世々の物知り人の説の、誤り、心もつかざりし事などをも、見つけたる人多きは、珍しき事なり。されどついに誠の道をば知る人無くして、その代終わりぬるは、神の御国にあらざるが故なり。
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『玉勝間』十二の巻 物しり人もののことわりを論ずるやう世のものしり人、人の身のうえ、世の中のことわりなどを、さまざま心高く、いとかしこげには論えども、とかく云うもかく云うも、皆からぶみの趣きにて、その垣内を出ずる事あたわざるは、いかにぞや。
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『玉勝間』十四の巻 論語論語の雍也篇の、朱注に、仲弓蓋し未だ夫子の可の字の意を喩らず云云と云えり。朱熹、つねに格物致知を教う。しかるに仲弓は孔丘が高弟なるに、いまだ可の字の意をだに喩らぬは、いかでか致知を得む。孔丘が高弟すら、かくの如くならむには、常人はいかでかこれを得ん。大かた朱学の牽強付会皆かくの如し。
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『玉勝間』二の巻 儒者名をみだる事皇国は、物のありさまは、古とかわりきぬる事も、名は、物のうつり行く、その時時のさまには従わずして、今の世とても万になお古のを守り給うなるは、いともいとも有りがたく、孔丘が心もていわば、名のいと正しきにこそ有りけれ。さるをかえりて正しからずとしも云うは、何につけても、あながちに皇国を云いおとさむとする心のみ進めるからに、そのひがことなる事をも、われながら覚えざるなめり。
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『玉勝間』十四の巻 〓誠もろこしの古書、ひたすら教誡をのみこちたく云えるは、いといとうるさし。人は教えによりて善くなる者にあらず。もとより教えをまつものには有らぬを、余りこちたくいましめ教うるから、なかなかに姦曲詐偽のみまさる事を知らず。周公旦、余りにこちたく定めたる故に、周の末の乱をおこせり。戦国の頃の人の邪智ふかきは、みな周公が教えたることなり。皇国の古書には、露ばかりもおしえがましき事見えず。このけじめをよく考うべし。教誡の厳なるを善き事と心得たるは愚かなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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