玉勝間 / 十四の巻 仏道
佛道は、唯だ悟と迷ひとをわきまへて、その悟を得るのみにして、その餘の事はみな枝葉のみなり。かくてその悟と云ふ物、また無用の空論にして、露も世に益ある事無し。しかるを、世の人、その枝葉の方便にまどへるは、いかなる愚なる心ぞや。
新字:仏道は、唯だ悟と迷ひとをわきまへて、その悟を得るのみにして、その余の事はみな枝葉のみなり。かくてその悟と云ふ物、また無用の空論にして、露も世に益ある事無し。しかるを、世の人、その枝葉の方便にまどへるは、いかなる愚なる心ぞや。
書き下し
仏道は、ただ悟りと迷いとをわきまえて、その悟りを得るのみにして、その余の事はみな枝葉のみなり。かくてその悟りと云う物、また無用の空論にして、露も世に益ある事無し。しかるを、世の人、その枝葉の方便にまどえるは、いかなる愚かなる心ぞや。
現代語訳
仏道は、ただ悟りと迷いとを見分けて、その悟りを得ることだけであって、そのほかのことはみな枝葉にすぎない。そしてその悟りというものも、また役に立たない空論であって、少しも世の役に立つことがない。それなのに世の人が、その枝葉の方便に惑わされているのは、なんと愚かな心であろうか。
解説
仏教の本質とその評価を、ごく短く言い切った段である。宣長は、仏道の要は迷いと悟りを見分けて悟りを得ることだけで、それ以外の教えや儀式はみな枝葉にすぎないと言う。そしてその悟りさえ世の役に立たない空論だと断じ、人々が本質でもない方便、すなわち仏が人を導くために用いる仮の手立てに惑わされていることを愚かだと嘆く。宣長の家は浄土宗の熱心な信徒で、宣長自身も仏教の教養を深く身につけていたが、学問の上では仏教を、人の自然な心を否定し、世の実際から離れた教えとして批判した。仏教側から見れば一面的な評価だが、宗教の本質と周辺の方便とを区別して見ようとする視点そのものは明快である。
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