導師導古典を学びたいすべての人に

玉勝間 / 十四の巻 道教にまどへるか〇原本一字空白ら字欠カ国の王どもの異さまなる号

唐玄宗會昌投龍文、自稱承-道繼-玄昭明三-光弟-子南-嶽上眞人、宋徽宗、群臣上尊號爲玉京金闕七-寶元-臺紫微上-宮靈寶至眞玉宸明皇天道君、其上-章靑詞、自稱奉行玉清神霄保-仙元-一六-陽三-五璇-璣七-九飛-天元大法師都-天-〓-主、云云く〓屈萬乘之稱、從黃冠之號、不亦兒-戯狂-惑之甚哉云へり。件の號どもは、道〓に惑へる號なり。拙キことなり。聖武天皇の、沙彌勝滿と、御名告らせ給ひ、東大寺の大佛に對ひ給ひて、三寶の奴と詔へる類なり。

新字:唐玄宗会昌投竜文、自称承-道継-玄昭明三-光弟-子南-嶽上真人、宋徽宗、群臣上尊号為玉京金闕七-宝元-台紫微上-宮霊宝至真玉宸明皇天道君、其上-章青詞、自称奉行玉清神霄保-仙元-一六-陽三-五璇-璣七-九飛-天元大法師都-天-〓-主、云云く〓屈万乗之称、従黄冠之号、不亦児-戯狂-惑之甚哉云へり。件の号どもは、道〓に惑へる号なり。拙キことなり。聖武天皇の、沙弥勝満と、御名告らせ給ひ、東大寺の大仏に対ひ給ひて、三宝の奴と詔へる類なり。

書き下し

唐の玄宗の会昌投龍文に、自ら承道継玄昭明三光弟子南岳上真人と称し、宋の徽宗は、群臣尊号を上りて玉京金闕七宝元台紫微上宮霊宝至真玉宸明皇天道君と為す、その上章青詞に、自ら奉行玉清神霄保仙元一六陽三五璇璣七九飛天元大法師都天教主と称す、云云、万乗の称を屈して、黄冠の号に従う、また児戯狂惑の甚だしきにあらずやと云えり。件の号どもは、道教に惑える号なり。拙きことなり。聖武天皇の、沙弥勝満と、御名告らせ給い、東大寺の大仏に対い給いて、三宝の奴と詔える類なり。

現代語訳

唐の玄宗の「会昌投龍文」に、自らを「承道継玄昭明三光弟子南岳上真人」と称し、宋の徽宗は、群臣が尊号を奉って「玉京金闕七宝元台紫微上宮霊宝至真玉宸明皇天道君」とした。その天に奉る上章・青詞には、自らを「奉行玉清神霄保仙元一六陽三五璇璣七九飛天元大法師都天教主」と称した、云々。「天子の称号を曲げて、道士の称号に従うとは、なんとも子供の遊びのような狂った惑いの甚だしいことではないか」と言っている。これらの称号は、道教に惑った称号である。拙いことである。聖武天皇が「沙弥勝満」とお名乗りになり、東大寺の大仏に向かわれて「三宝の奴」と仰せになった類いである。

解説

中国の皇帝が道教に傾倒して、長く奇妙な道教風の称号を名乗った例を挙げた段である。唐の皇帝が道士のような号を自称し、宋の徽宗が「教主道君皇帝」を名乗って道教に熱中したことはよく知られる。宣長が引く書物は、天子の尊い称号を曲げて道士の号に従うのは子供の遊びのような狂気だと批判しており、宣長もそれに同意して拙いことだとする。聖武天皇が出家して「沙弥勝満」と名乗り、東大寺の大仏の前で自らを「三宝の奴」と称したのも同じ類いだというのである。天皇が仏の奴を名乗ったことは、神の御子孫である天皇の尊厳を損なうものとして、宣長には許しがたかった。外国の皇帝を批判する体裁を取りながら、実は日本の天皇の仏教への帰依を批判している点に、宣長の意図がある。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る