孟子 / 盡心章句下
貉稽曰、稽大不理於口。孟子曰、無傷也。士憎茲多口。詩云、憂心悄悄、慍于群小、孔子也。肆不殄厥慍、亦不隕厥問、文王也。
書き下し
貉稽(ハク・ケイ)曰く、「稽大いに口に理あらず。」孟子曰く、「傷むこと無かれ。士は茲の多口に憎まる。詩に云う、『憂心悄悄たり、羣小に慍らる』とは、孔子なり。『肆(ついに)に厥に慍りを殄(たつ)たず、亦た厥の問を隕とさず』とは、文王なり。」
現代語訳
貉稽という者が言った。 「私は人から悪口を言われ悩んでいます。」 孟子は言った。 「気にすることはありません。士という者は見識が増えれば増えるほど人から憎まれるものです。『詩経』邶風、柏舟篇にも、『悄悄として心が憂えるのは、小人どもが寄り集まって、謗るからだ』とあるのは、孔子のような場合を指すのでしょう。『詩経』大雅、文王之什緜篇に、『けっきょく、小人どもの怒りを断ち切ることはできなかったが、その名声も失墜させることはなかった』とあるのは、文王のような場合を指すのです。孔子や文王でさえ悪口を言われるのですから、心配することはありません。」
解説
他人から悪口を言われたり、批判されたりして落ち込むことは誰にでもあります。しかし、どれほど立派な偉人であっても、世の中のすべての人から好かれるわけではありません。仕事や人間関係で周囲から心無い言葉を投げかけられたとしても、それは相手の嫉妬や無理解から生じることも多いのです。大切なのは、周りの評価に振り回されることなく、自分自身の信じる正しい道を堂々と歩むことです。悪口はあなたの価値を少しも下げるものではありません。
この章句が説くこと
批判悪口自己肯定感
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