呻吟語 / 内篇・應務・事手に到らざれば人を責むること盡く易し
今人見前輩先達作事不自振拔,輒生歎恨,不知渠當我時也會歎恨人否?我當渠時能免後人歎恨否?事不到手,責人盡易,待君到手時,事事努力不輕放過便好。只任嘵嘵責人,他日縱無可歎恨,今日亦浮薄子也。
新字:今人見前輩先達作事不自振抜,輒生嘆恨,不知渠当我時也会嘆恨人否?我当渠時能免後人嘆恨否?事不到手,責人尽易,待君到手時,事事努力不軽放過便好。只任嘵嘵責人,他日縦無可嘆恨,今日亦浮薄子也。
書き下し
今人前輩先達の事を作すに自ら振拔せざるを見て、輒ち歎恨を生ず。知らず、渠我に當たる時にも也た人を歎恨するを會すや否や。我渠に當たる時に能く後人の歎恨を免るや否や。事手に到らざれば、人を責むること盡く易し。君が手に到る時を待ちて、事事努力して輕く放過せざれば便ち好し。只だ嘵嘵として人を責むるに任せば、他日縱ひ歎恨す可き無きも、今日亦た浮薄子なり。
現代語訳
今の人は先輩や先達が事をなすのに自分を奮い立たせないのを見て、すぐ嘆き恨みます。しかし知りません。あの人が自分の立場にいた時も、人を嘆き恨んだのではないかと。自分があの人の立場になった時、後の人の嘆きを免れられるかと。事が手元に来ていなければ、人を責めるのはいくらでも易しい。あなたの手元に来た時に、一つ一つ努力して軽く見過ごさなければそれでよい。ただやかましく人を責めるに任せれば、後日たとえ嘆かれることが無くても、今日すでに浮ついた者です。
解説
先人を批判する態度を、時間軸を入れ替えて崩します。あの人も若い時は同じように嘆いたのではないか、自分も後から嘆かれるのではないか。そして責めやすさの理由が明かされます。事が手元に無いから易しいのです。さらに、今責めている時点ですでに浮ついた者だとされ、逃げ場がありません。責めている時点ですでに浮ついた者だとされ、逃げ場がありません。
この章句が説くこと
批判時間軸当事者責任浮薄
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