尚書 / 秦誓
責人斯無難,惟受責俾如流,是惟艱哉
書き下し
人を責むる斯れ難きこと無し、惟れ責めを受けて流るるが如くならしむる、是れ惟れ艱きかな。
現代語訳
人を責めることは難しくない。ただ、責めを水が流れるように素直に受け入れることこそ、難しいのだ。
解説
誰かの落ち度を指摘することは、実のところそれほど骨の折れる作業ではない。難しいのは、自分が向けられた批判を、抵抗なく水のように受け流し、そのまま飲み込むことのほうである。指摘されると反射的に言い訳や反論が浮かんでくるのが普通の人の反応だが、そこで一呼吸置いて素直に受け止められるかどうかで、その後の成長は大きく変わる。責める側でなく、受け止める側の器量が問われている。

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批判受容謙虚
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『驢鞍橋』卷上夜話の次で去る者、何某殿は大名に似合はぬ欲深き人なりと云ふ。師聞て曰く、其方は我耻を云ひありく人哉。人を欲深い抔と云ふは、必ず人に用有る者の云ふ事也。我は終に今迄人を欲深しと思ひたる事なし。只世の中には我独り欲深き者と思ふ也。又彼者何某は大国の執権に似合はぬ無さばきなる人なりと云ふ。師曰、扨も非を知らぬ人哉。其方に大国をさばかせたらば、あの百分が一も成るべからす。我々の百石二百石の中さへ道らしくさばき得ぬ人々か、他の上計りを云はるゝは疎なる事也。只我を知らぬ物也。我は毎物扨ても成るまい事哉と思はるゝ也。然る間終に人を悪いと思ひたる事なし。只世の中には我独り悪き者と計り思はるゝ也。
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