玉勝間 / 十四の巻 聖人を尊む事
世世のもろこし人おしなべて、かの國の聖人と云ふ物を尊み信ずる中には、實に尊み信ずる人も有るべく、又心にはいかにぞや思ふ事有れども、聖人にたがひては世の人のそしりてうけぬ事なるによりて、尊み信ずるかほして、世に從へるもありげに見ゆるなり。又もろもろの聖人どもの中に、孔子は、かの國の王にあらず、もはらその道の人なるが故に、あるが中に此人をば殊に尊み信ずめるは、是れつとめてこれを褒めたてて、その道を張むとするなり。
新字:世世のもろこし人おしなべて、かの国の聖人と云ふ物を尊み信ずる中には、実に尊み信ずる人も有るべく、又心にはいかにぞや思ふ事有れども、聖人にたがひては世の人のそしりてうけぬ事なるによりて、尊み信ずるかほして、世に従へるもありげに見ゆるなり。又もろもろの聖人どもの中に、孔子は、かの国の王にあらず、もはらその道の人なるが故に、あるが中に此人をば殊に尊み信ずめるは、是れつとめてこれを褒めたてて、その道を張むとするなり。
書き下し
世々のもろこし人おしなべて、かの国の聖人と云う物を尊み信ずる中には、実に尊み信ずる人も有るべく、又心にはいかにぞや思う事有れども、聖人にたがいては世の人のそしりてうけぬ事なるによりて、尊み信ずるかおして、世に従えるもありげに見ゆるなり。又もろもろの聖人どもの中に、孔子は、かの国の王にあらず、もはらその道の人なるが故に、あるが中にこの人をば殊に尊み信ずめるは、これつとめてこれを褒めたてて、その道を張らむとするなり。
現代語訳
代々の中国人が総じてあの国の聖人というものを尊び信じる中には、本当に尊び信じる人もいるであろうし、また心の中ではどうかと思うことがあっても、聖人に背けば世の人が非難して受け入れないことなので、尊び信じる顔をして世間に従っている者もいそうに見える。また多くの聖人たちの中で、孔子はあの国の王ではなく、もっぱらその道の人であるから、数ある中でこの人をとりわけ尊び信じるようであるのは、努めてこれを褒めたたえて、その道を広めようとするのである。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』三の巻 から国にて孔丘が名をいむ事もろこしの国に、今の清の代に、その王が、孔子の諱を避くとて、丘の字の〓を省きて書く事をはじめて、秦漢より明に至るまで、夫子を尊む事を知らざりしと云いて、いみしげにみずからほこれども、是れいとおこなる事なり。もしまことに孔丘をとうとむとならば、其道をこそよく行うべき事なれ。その道をば、全くも行わずして、唯だ徒らに、其人のみをとうとまんは、何のいみしき事かあらむ、其道をだによく行いなば、古えより忌む事無くて有り来つる、其文字は、今さら忌まずとて、なでう事か有らむ。これただ道をとうとみがおして、世の人にいみしく思わせむ為のはかりごとなり。すべてかの国人のしわざは、大かた古えよりかくの如くにして、聖賢と云う物をとうとむを、いみしき事にすなるは、皆まことに尊むにはあらず、名をむさぼるしわざなり。
-
『玉勝間』二の巻 から国聖人の世の祥瑞と云ふものもろこしの国に、古聖人と云いし者の世には、その徳にめでて、麒麟鳳凰など云いて、ことごとしき鳥けだ物いで、またくさぐさめでたきしるしの現れし事を云えれども、さるたぐいのめずらしき物も、ただ何となくおりおりは出ずる事なるべきを、たまたま出でぬれば、徳にめでて、天のあたえたるごと云いなして、聖人のしるしとて、世の人に、いみしき事に思わせたるものなり。万ずにかかるぞ、かの国人のしわざなりける。
-
『玉勝間』十四の巻 又論語の中にも、堯舜禹泰伯文王をばいみじく誉めたれども、湯王武王をほめたる事は一言も無し。意あるにや。終わりに、湯王が言をあげたるは、孔丘の意にはあらず。
-
『玉勝間』二の巻 儒者名をみだる事孔丘は、名を正すをこそいみしきわざとはしつれ、こなたの近き頃の儒者は、よろずに名をみだる事をのみつとむめり。そが中に、地の名などを、からめかすとて、延べもつづめも変えも心にまかせて物するなどは、猶つみかろかるべきを、おおやけざまにあずかれる、重き名どもをさえに、わたくしの心にまかせて、みだりに改め定めて書くなるは、いともいとも畏きわざならずや。近き世にある儒者の、今の世は、万の名正しからず、某をば、今はしかじかとは云うべきにあらず、しかじか云わむこそ正しけれ、など云いて、よろずを今の世のありさまにまかせて、例の私に物せるは、いかなるひが心得ぞや。そもそもかの孔丘が名を正せるようは、諸侯どものみだりなる、当時のありさまにはかかわらずて、ひたぶるに周王のもとの定めをこそ守りつれ。かのある儒者のごと、古よりの定めにもかかわらず、今の名にも従わず、ただ今の世のありさまにまかせて、わたくしにあらたに物せむは、孔丘が春秋のこころとは、うらうえにて、ことさらに名をみだる事の、いみしきものにこそ有りけれ。
-
『玉勝間』二の巻 儒者名をみだる事皇国は、物のありさまは、古とかわりきぬる事も、名は、物のうつり行く、その時時のさまには従わずして、今の世とても万になお古のを守り給うなるは、いともいとも有りがたく、孔丘が心もていわば、名のいと正しきにこそ有りけれ。さるをかえりて正しからずとしも云うは、何につけても、あながちに皇国を云いおとさむとする心のみ進めるからに、そのひがことなる事をも、われながら覚えざるなめり。
-
『玉勝間』十四の巻 〓誠もろこしの古書、ひたすら教誡をのみこちたく云えるは、いといとうるさし。人は教えによりて善くなる者にあらず。もとより教えをまつものには有らぬを、余りこちたくいましめ教うるから、なかなかに姦曲詐偽のみまさる事を知らず。周公旦、余りにこちたく定めたる故に、周の末の乱をおこせり。戦国の頃の人の邪智ふかきは、みな周公が教えたることなり。皇国の古書には、露ばかりもおしえがましき事見えず。このけじめをよく考うべし。教誡の厳なるを善き事と心得たるは愚かなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る