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玉勝間 / 十四の巻 名所

歌枕の國郡を論ずるに、古き歌に詠めるをよく考へて、その國郡を定むべし。後世の歌は、唯だ歌の趣意により來れる所を詠む故に、その國所をば知らずそらに詠める故に、後世の歌はさらに據とするに足らず。題詠のみならず、後世の歌は、その所にいたりて詠めるも取がたき事あり。いかにと云ふに、古き歌枕を、中昔の書に某國にありと注せるには、いみしく誤れる事のみ多きを、後の人、その誤れる注によりて、その國に其名所をつくりかまへて、或は萬葉に詠める某山はこれなりなど云ふたぐひ多きをそれも年を經ればその名のひろまりて、もとよりその所の如くなれるを、他國の歌人そこに到りて、その名を聞きて詠めるたぐひ多ければなり。

新字:歌枕の国郡を論ずるに、古き歌に詠めるをよく考へて、その国郡を定むべし。後世の歌は、唯だ歌の趣意により来れる所を詠む故に、その国所をば知らずそらに詠める故に、後世の歌はさらに拠とするに足らず。題詠のみならず、後世の歌は、その所にいたりて詠めるも取がたき事あり。いかにと云ふに、古き歌枕を、中昔の書に某国にありと注せるには、いみしく誤れる事のみ多きを、後の人、その誤れる注によりて、その国に其名所をつくりかまへて、或は万葉に詠める某山はこれなりなど云ふたぐひ多きをそれも年を経ればその名のひろまりて、もとよりその所の如くなれるを、他国の歌人そこに到りて、その名を聞きて詠めるたぐひ多ければなり。

書き下し

歌枕の国郡を論ずるに、古き歌に詠めるをよく考えて、その国郡を定むべし。後世の歌は、ただ歌の趣意により来たれる所を詠む故に、その国所をば知らずそらに詠める故に、後世の歌はさらに拠とするに足らず。題詠のみならず、後世の歌は、その所にいたりて詠めるも取りがたき事あり。いかにと云うに、古き歌枕を、中昔の書に某国にありと注せるには、いみじく誤れる事のみ多きを、後の人、その誤れる注によりて、その国にその名所をつくりかまえて、或いは万葉に詠める某山はこれなりなど云うたぐい多きを、それも年を経ればその名のひろまりて、もとよりその所の如くなれるを、他国の歌人そこに到りて、その名を聞きて詠めるたぐい多ければなり。

現代語訳

歌枕がどの国のどの郡にあるかを論じるには、古い歌に詠まれているものをよく考えて、その国郡を定めるべきである。後の世の歌は、ただ歌の趣向によって、それに合う所を詠むので、その国や場所を知らずに想像で詠むから、後の世の歌はまったく根拠とするに足りない。題詠だけでなく、後の世の歌は、その場所に行って詠んだものも採りがたいことがある。なぜかと言うと、古い歌枕について、中古の書物に某国にあると注したものには、ひどく誤ったことばかりが多いのに、後の人がその誤った注によって、その国にその名所をこしらえて、あるいは『万葉集』に詠まれた某山はこれだなどと言う類いが多い。それも年を経るとその名が広まって、もともとそこであったかのようになったのを、他国の歌人がそこに行って、その名を聞いて詠んだ類いが多いからである。

解説

歌に詠まれた名所「歌枕」の所在を考えるときの方法を述べた段である。宣長は、所在を定めるには古い歌をよく考えるべきで、後世の歌は根拠にならないと言う。後世の歌は題に合わせて想像で詠むものが多いからだが、それだけでなく、実際に現地で詠んだ歌さえ信用できないことがある。中古の歌学書が誤った所在を注したのを、後の人がそれに合わせて現地に名所をこしらえ、年を経ると本物のように広まり、旅の歌人がそれを聞いて詠むからである。名所が偽りの注から作られ、それが繰り返されて既成事実になっていく過程を、宣長は鋭く見抜いている。資料の新旧と、情報が生まれた経路を見極めよという、史料批判の要点を示した段である。

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