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玉勝間 / 六の巻 古き名どころを尋ぬる事

木だちなど、二三百年をも經ぬるは、いといと物ふりて見ゆるものなれば、古く見ゆるにつきても、たやすくは定めがたきわざなりかし。村の名、山川浦磯などの名に、心をつけて尋ぬべし。田どころなどのあざなと云ふ物などをも、よく尋ぬべし。寺の名に、古きが殘れるがよく有ることなり。然かは有れども又、すべて名によりて、誤る事も有るわざなり。又寺寺の緣起と云ふ物、おほかた例の法師の空ごと勝ちなれど、其中に、まれまれには取るべき事もまじれるものなれば、これはたひたぶるには捨つべきに有らず。古きあとは、中頃法師どもの、國人をあざむきて、佛どころにしなしたるが、いづれの國にも多ければ、ほとけ所をも、其心して尋ぬべし。古き寺には、古き書キ物など有て、古き事の殘れる多し。むげに尋ぬべきたづき無き所も、思ひかけぬところより、たしかなるしるしの出來るやうも有れば、いたらぬ限無く、よろづに思ひめぐらして、委しく尋ぬべし。斯くて尋ね得たりと思ふところも、なほたしかには定むべからず。世にさるべき人の定めおきつる所などは、ひがさだめなるも、つひにそこに定まりて、後のまどひとなるわざなりかし。そもそも此くだりは、名所を尋ぬるわざのみにも有らず、萬つの考へにもわたる事どもありぬべくなむ。

新字:木だちなど、二三百年をも経ぬるは、いといと物ふりて見ゆるものなれば、古く見ゆるにつきても、たやすくは定めがたきわざなりかし。村の名、山川浦磯などの名に、心をつけて尋ぬべし。田どころなどのあざなと云ふ物などをも、よく尋ぬべし。寺の名に、古きが残れるがよく有ることなり。然かは有れども又、すべて名によりて、誤る事も有るわざなり。又寺寺の縁起と云ふ物、おほかた例の法師の空ごと勝ちなれど、其中に、まれまれには取るべき事もまじれるものなれば、これはたひたぶるには捨つべきに有らず。古きあとは、中頃法師どもの、国人をあざむきて、仏どころにしなしたるが、いづれの国にも多ければ、ほとけ所をも、其心して尋ぬべし。古き寺には、古き書キ物など有て、古き事の残れる多し。むげに尋ぬべきたづき無き所も、思ひかけぬところより、たしかなるしるしの出来るやうも有れば、いたらぬ限無く、よろづに思ひめぐらして、委しく尋ぬべし。斯くて尋ね得たりと思ふところも、なほたしかには定むべからず。世にさるべき人の定めおきつる所などは、ひがさだめなるも、つひにそこに定まりて、後のまどひとなるわざなりかし。そもそも此くだりは、名所を尋ぬるわざのみにも有らず、万つの考へにもわたる事どもありぬべくなむ。

書き下し

木だちなど、二三百年をも経ぬるは、いといと物ふりて見ゆるものなれば、古く見ゆるにつきても、たやすくは定めがたきわざなりかし。村の名、山川浦磯などの名に、心をつけて尋ぬべし。田どころなどのあざなと云う物などをも、よく尋ぬべし。寺の名に、古きが残れるがよく有ることなり。しかは有れどもまた、すべて名によりて、誤る事も有るわざなり。また寺々の縁起と云う物、おおかた例の法師の空ごと勝ちなれど、その中に、まれまれには取るべき事もまじれるものなれば、これはたひたぶるには捨つべきに有らず。古きあとは、中頃法師どもの、国人をあざむきて、仏どころにしなしたるが、いずれの国にも多ければ、ほとけ所をも、その心して尋ぬべし。古き寺には、古き書き物など有りて、古き事の残れる多し。むげに尋ぬべきたずき無き所も、思いかけぬところより、たしかなるしるしの出で来るようも有れば、いたらぬ限り無く、よろずに思いめぐらして、委しく尋ぬべし。かくて尋ね得たりと思うところも、なおたしかには定むべからず。世にさるべき人の定めおきつる所などは、ひがさだめなるも、ついにそこに定まりて、後のまどいとなるわざなりかし。そもそもこのくだりは、名所を尋ぬるわざのみにも有らず、万ずの考えにもわたる事どもありぬべくなむ。

現代語訳

木立などは二、三百年も経たものは、たいそう古びて見えるものなので、古く見えるということについても、たやすくは定めがたいことである。村の名や、山・川・浦・磯などの名に心をつけて尋ねるべきである。田地などの字(あざな)というものなども、よく尋ねるべきである。寺の名に古い名が残っていることはよくあることである。そうではあるがまた、およそ名によって誤ることもあるものである。また寺々の縁起というものは、おおかた例の法師の作り事ばかりだが、その中にまれには取るべきことも混じっているものなので、これもまたひたすら捨てるべきではない。古い跡は、中ごろ法師どもが国の人を欺いて仏の所にしてしまったものが、どこの国にも多いので、仏の所をもそのつもりで尋ねるべきである。古い寺には古い書き物などがあって、古いことが残っているものが多い。まったく尋ねる手がかりのない所も、思いがけない所から確かな証拠が出てくることもあるので、行き届かないところのないように、万事に思いめぐらして詳しく尋ねるべきである。こうして尋ね得たと思う所も、なお確かには定めてはならない。世に然るべき人が定めておいた所などは、誤った判定であっても、ついにそこに定まってしまって、後の人の惑いとなるものである。そもそもこのくだりのことは、名所を尋ねることだけでなく、あらゆる考察にも通じることがあるだろう。

解説

名所を尋ねる心得の結びである。村の名や山川の名、田の小字、寺の名に古い名が残っていることが多いから注意せよ、ただし名だけで決めると誤ることもある、と言う。寺の縁起は作り事が多いが、まれに取るべきことも混じるから捨てるな、とも言う。仏教に厳しい宣長が、寺に残る古文書の価値ははっきり認めている点が公平である。そして、尋ね得たと思っても確かには定めるな、名のある人が定めた所は誤りでもそこに定まってしまい、後の人を惑わせるからだ、と戒める。権威ある人の結論ほど慎重であれ、という教えは重い。最後に、これは名所探しだけでなく、あらゆる考察に通じると結ぶ。宣長の学問の方法が凝縮された一段である。

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