玉勝間 / 六の巻 古き名どころを尋ぬる事
ふるき神の社の、今は絕たる、又絕ざれども、定かならず成りぬるなど、いづくにも多かるは、いと悲しきわざなり。神祇官の帳にのれるなどは、缺けてもさは有るまじきわざなるを、中頃の世の亂れに、天ノ下のよろづの事も、古、の掟も、皆みだれに亂れ、絕え失せに絕え失せにたる、萬ッにつけて、いともいともかなしきは、亂れ世のしわざなりけり。さるを今の御世は、古へにも稀れなるまで、よく治まりて、いともめでたく、天の下榮えに榮ゆるままに、よろづに古をたつねて、絕たるを起し、おとろへたるを直し給ふ御世にし有れば、神の社どもは、殊に古、に立かへりて、榮ゆべき時なりけり。然か有るにつけては、絕たるは、跡をだに定かに尋ねまほしく、又今も有りなから、さだかならず、疑はしきをば、よく考へ尋ねて、確にそれと、定め知らまほしきわざになむ有りける。次には神ノ社ならぬも、古へに名あるところどころ、歌枕なども、今は定かならぬが多かるは、斯かるめでたき時世にあたりて、尋ね置かまほしきわざなり。
新字:ふるき神の社の、今は絶たる、又絶ざれども、定かならず成りぬるなど、いづくにも多かるは、いと悲しきわざなり。神祇官の帳にのれるなどは、欠けてもさは有るまじきわざなるを、中頃の世の乱れに、天ノ下のよろづの事も、古、の掟も、皆みだれに乱れ、絶え失せに絶え失せにたる、万ッにつけて、いともいともかなしきは、乱れ世のしわざなりけり。さるを今の御世は、古へにも稀れなるまで、よく治まりて、いともめでたく、天の下栄えに栄ゆるままに、よろづに古をたつねて、絶たるを起し、おとろへたるを直し給ふ御世にし有れば、神の社どもは、殊に古、に立かへりて、栄ゆべき時なりけり。然か有るにつけては、絶たるは、跡をだに定かに尋ねまほしく、又今も有りなから、さだかならず、疑はしきをば、よく考へ尋ねて、確にそれと、定め知らまほしきわざになむ有りける。次には神ノ社ならぬも、古へに名あるところどころ、歌枕なども、今は定かならぬが多かるは、斯かるめでたき時世にあたりて、尋ね置かまほしきわざなり。
書き下し
ふるき神の社の、今は絶えたる、また絶えざれども、定かならず成りぬるなど、いずくにも多かるは、いと悲しきわざなり。神祇官の帳にのれるなどは、欠けてもさは有るまじきわざなるを、中頃の世の乱れに、天の下のよろずの事も、古の掟も、皆みだれに乱れ、絶え失せに絶え失せにたる、万ずにつけて、いともいともかなしきは、乱れ世のしわざなりけり。さるを今の御世は、古えにも稀なるまで、よく治まりて、いともめでたく、天の下栄えに栄ゆるままに、よろずに古をたずねて、絶えたるを起こし、おとろえたるを直し給う御世にし有れば、神の社どもは、殊に古に立ちかえりて、栄ゆべき時なりけり。しか有るにつけては、絶えたるは、跡をだに定かに尋ねまほしく、また今も有りながら、さだかならず、疑わしきをば、よく考え尋ねて、確かにそれと、定め知らまほしきわざになむ有りける。次には神の社ならぬも、古えに名あるところどころ、歌枕なども、今は定かならぬが多かるは、かかるめでたき時世にあたりて、尋ね置かまほしきわざなり。
現代語訳
古い神の社で、今は絶えてしまったもの、また絶えてはいないがはっきりしなくなったものなどが、どこにも多いのは、たいそう悲しいことである。神祇官の帳(延喜式の神名帳)に載っているものなどは、欠けてもそうであってはならないことなのに、中ごろの世の乱れに、天下のあらゆることも古の掟も、みな乱れに乱れ、絶え失せに絶え失せてしまった。何事につけても、まことに悲しいのは乱世のしわざであった。それなのに今の御代は、古にもまれなほどよく治まって、たいそうめでたく、天下が栄えに栄えるにつれて、何事につけても古を尋ねて、絶えたものを起こし、衰えたものを直しなさる御代であるので、神の社などは、ことに古に立ち返って栄えるべき時なのである。そうであるにつけては、絶えたものは跡だけでもはっきり尋ねたいし、また今もありながらはっきりせず疑わしいものは、よく考え尋ねて、確かにそれだと定めて知りたいものである。次には、神の社でなくても、古に名のある所々や歌枕なども、今ははっきりしないものが多いのは、このようにめでたい時世に当たって、尋ねておきたいことである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事かくて神の社にまれ、御陵にまれ、歌枕にまれ、何にまれ、遥かなる古えのを、中頃とめ失いたるを、今の世にして、尋ね定めむことは、大かたたやすからぬわざになむ有りける。そのゆえを云わむには、まずこの古き所を尋ぬるわざは、ただに古の書どもを考えたるのみにては、知りがたし。いかに委しく考えたるも、書もて考え定めたる事は、その所にいたりて見聞けば、いたく違う事の多き物なり。よそながらは、定かならぬ所も、その国にては、さすがに書も伝え、語りも伝えて、まがい無き事も有り。さればみずからその地にいたりて、見もし、そこの事よく知れる人に、問い聞きなどもせでは、事たらわず。またただ一たび物して、見聞きたるのみにても、なおたらわず。行きて見聞きて立ちかえりて、またふみどもと考え合わせて、またまたも行きて、よく見聞きたるうえならでは、定めがたかるべし。さてまたそのところの人に逢いて、問い聞くにも、心得べき事くさぐさ有り。古えの事を、あまりたしかに知りがおに語るは、多くは、書のかたはしを、なまなまに考えなどしたるものの、己がさかしらもて、定め云うが多ければ、そはいと頼みがたく、中中の物そこないなり。
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『玉勝間』七の巻 神わざのおとろへのなげかはしき事よろずよりも、世の中に願わしきは、いかでもろもろの神の社の衰えを、もて直し、もろもろの神わざを、おこさまほしくこそ。今の世の神の社・神事のさまは、おおかた中頃の乱れ世に、いたく衰えすたれたるままなるを、今の世の人は、ただ今のさまをのみ見て、古よりかかるものとぞ思いたんめる。まれまれ書を読む人なども、ただからぶみをのみむねとは読みて、その心もて、万ずをさだして、皇国の古き書どもをば、おさおさ読む人も無ければ、古の御世には、神社・神事を、むねと重くし給いし事をば知らず。また稀れには知れる人も有れども、なお今の世のならいにまぎれては、古を思いくらべて、これを深く歎く人の無きこそ、いと悲しけれ。
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『玉勝間』十の巻 古へより伝はれる事の絶るをかなしむ事世の中に、古えの事の、いたく衰えたる、またひたぶるに絶えぬるなども多かるを、かかるめでたき御代にあたりて、何事も起したてまほしき中に、絶えたるも、跡をたずねて、またはじめむに、始めつべきは、遅くも疾くも、直毘の神の頼みの、なおのこれるを、一たび絶えては、またつぐべきよし無く、また始むべき便り無き事どもこそ、殊に云うかいなく、口惜しきわざには有りけれ。古き氏々など、神代のゆえよし重きなどは、更にも云わず、さらぬも、早く末の絶え果てぬるが多き、今は如何に思いても、二たびつぎ起すべきよし無くなん。これらを思うに、万の古き事は、わずかにも残りて、絶えざるをだに、おとしあぶさず、よくとりしたためて、今より後、絶ゆまじきさまに、如何にも如何にも、強くかたく成し置かまほしきわざぞかし。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事木だちなど、二三百年をも経ぬるは、いといと物ふりて見ゆるものなれば、古く見ゆるにつきても、たやすくは定めがたきわざなりかし。村の名、山川浦磯などの名に、心をつけて尋ぬべし。田どころなどのあざなと云う物などをも、よく尋ぬべし。寺の名に、古きが残れるがよく有ることなり。しかは有れどもまた、すべて名によりて、誤る事も有るわざなり。また寺々の縁起と云う物、おおかた例の法師の空ごと勝ちなれど、その中に、まれまれには取るべき事もまじれるものなれば、これはたひたぶるには捨つべきに有らず。古きあとは、中頃法師どもの、国人をあざむきて、仏どころにしなしたるが、いずれの国にも多ければ、ほとけ所をも、その心して尋ぬべし。古き寺には、古き書き物など有りて、古き事の残れる多し。むげに尋ぬべきたずき無き所も、思いかけぬところより、たしかなるしるしの出で来るようも有れば、いたらぬ限り無く、よろずに思いめぐらして、委しく尋ぬべし。かくて尋ね得たりと思うところも、なおたしかには定むべからず。世にさるべき人の定めおきつる所などは、ひがさだめなるも、ついにそこに定まりて、後のまどいとなるわざなりかし。そもそもこのくだりは、名所を尋ぬるわざのみにも有らず、万ずの考えにもわたる事どもありぬべくなむ。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事また世に名高き所などをば、外なるをも、しいておのが国おのが里のにせまほしがるならいにて、ただいささかのより所めきたる事をも、かたくとらえて、強いてここぞと云いなして、しるしを作るたぐいなど、はた世に多きを、さる心して、まどうべからず。ふみなどは、むげに見たる事無き、ひたぶるの賤の男の、覚えいて語ることは、しり口あわず、しどけなく、ひがことのみ多かれど、その中には、かえりておかしき事もまじるわざなれば、さるたぐいをも、心とどめて聞くべきわざなり。されどまた、昔なまなまの物知り人などの、尋ね来たるが、ひが定めして、ここはしかしかの跡ぞなど、教えおきたるを聞きおりて、里人は、まことにさることと信じて、子うまごなどにも、語り伝えたるたぐいも有りしなれば、うべうべしくきこゆる事も、なおひたぶるには信じがたし。またみずからそのところのさまを行き見てさだむるにも、くさぐさ心うべき事ども有り。おおかた所のさまかみさびて、木立しげく物ふりなどしたるを見れば、こここそはと、目とまる物なれど、それはたうちつけには頼みがたし。大かたなにならぬ所にも、古めきたる森はやしなどは、多く有るものなり。
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