玉勝間 / 十四の巻 古より後世のまされる事
古よりも、後世のまされる事、萬の物にも、事にも多し。其一つを云はむに、古へは、橘をならび無き物にしてめでつるを、近き世には、みかんと云ふ物ありて、此みかんにくらぶれば、橘は數にもあらずけおされたり。その外かうじ、ゆ、くねんぼ、だいだいなどの、たぐひ多き中に、蜜柑ぞ味殊にすぐれて、中にも橘によく似てこよなくまされる物なり。此一つにておしはかるべし。或は古には無くて、今は有の物も多く、古へは惡ろくて、今のは善きたぐひ多し。これをもて思へば、今より後も又いかにあらむ。今に勝れる物多く出來べし。今の心にて思へば、古はよろづに事足らずあかぬ事おほかりけむ。されどその世には、さは覺えずやありけん。今より後また、物の多く善きがいでこん世には、今をも然思ふべけれど、今の人、事たらずとは覺えぬが如し。
新字:古よりも、後世のまされる事、万の物にも、事にも多し。其一つを云はむに、古へは、橘をならび無き物にしてめでつるを、近き世には、みかんと云ふ物ありて、此みかんにくらぶれば、橘は数にもあらずけおされたり。その外かうじ、ゆ、くねんぼ、だいだいなどの、たぐひ多き中に、蜜柑ぞ味殊にすぐれて、中にも橘によく似てこよなくまされる物なり。此一つにておしはかるべし。或は古には無くて、今は有の物も多く、古へは悪ろくて、今のは善きたぐひ多し。これをもて思へば、今より後も又いかにあらむ。今に勝れる物多く出来べし。今の心にて思へば、古はよろづに事足らずあかぬ事おほかりけむ。されどその世には、さは覚えずやありけん。今より後また、物の多く善きがいでこん世には、今をも然思ふべけれど、今の人、事たらずとは覚えぬが如し。
書き下し
古よりも、後世のまされる事、万の物にも、事にも多し。その一つを云わむに、古えは、橘をならび無き物にしてめでつるを、近き世には、みかんと云う物ありて、このみかんにくらぶれば、橘は数にもあらずけおされたり。その外こうじ、ゆ、くねんぼ、だいだいなどの、たぐい多き中に、蜜柑ぞ味殊にすぐれて、中にも橘によく似てこよなくまされる物なり。この一つにておしはかるべし。或いは古には無くて、今は有る物も多く、古えは悪ろくて、今のは善きたぐい多し。これをもて思えば、今より後も又いかにあらむ。今に勝れる物多く出で来べし。今の心にて思えば、古はよろずに事足らずあかぬ事おおかりけむ。されどその世には、さは覚えずやありけん。今より後また、物の多く善きがいでこん世には、今をも然思うべけれど、今の人、事たらずとは覚えぬが如し。
現代語訳
昔よりも後の世のほうが優れていることは、あらゆる物にも事にも多い。その一つを言うと、昔は橘を並ぶもののないものとして愛でたが、近ごろは蜜柑というものがあって、この蜜柑に比べると、橘は物の数でもなく圧倒されている。そのほか柑子・柚・九年母・橙などの類いが多い中で、蜜柑こそ味がとりわけ優れていて、中でも橘によく似て、この上なく勝るものである。この一つで推し量るべきである。あるいは昔はなくて今はある物も多く、昔は悪くて今のものは善い類いも多い。これによって考えると、今から後もまたどうなるであろうか。今より優れたものが多く出てくるであろう。今の心で考えると、昔は何事にも不足していて物足りないことが多かったであろう。けれどもその時代には、そうは思わなかったのではなかろうか。今から後また、良いものが多く出てくる世には、今のことをもそう思うであろうが、今の人が不足だとは思わないのと同じである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 前後と説のかはる事同じ人の説の、こことかしこと行きちがいて、ひとしからざるは、いづれによるべきぞと、まどわしくて、大かたその人の説、すべて浮きたる心地のせらるる、そは一わたりはさる事なれども、なおさしも有らず。初めより終りまで、説のかわれる事無きは、なかなかにおかしからぬかたも有るぞかし。初めに定めおきつる事の、ほどへて後に、またことなるよき考えの出で来るは、常にある事なれば、初めとかわれる事あるこそよけれ。年をへて、学問進みゆけば、説は必ずかわらでかなわず。またおのがはじめの誤りを、後に知りながらは、つつみかくさで、きよく改めたるも、いと善き事なり。殊にわが古学の道は、近きほどより開けそめつる事なれば、すみやかに尽くは考えつくすべきに有らず。人を経、年を経てこそ、つぎつぎに明らかには成りゆくべきわざなれば、一人のときごとの中にも、さきなると後なると異なる事は、もとより有らではえ有らぬわざなり。そは一人の生のかぎりの程にも、つぎつぎ明らかに成りゆくなり。さればそのさきのと後のとの中には、後の方をぞ、その人の定まれる説とはすべかりける。
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『玉勝間』二の巻 あらたに云ひ出たる説はとみに人のうけひかぬ事然れどもまたまれまれには、新なる説の善きを聞きては、古きが悪しき事をさとりて、すみやかに改め従うたぐいも、無きにはあらず。古きをいかにぞや思いて、かくはあらじかとまでは思いよれども、みずから定むる力無くて、疑わしながら、さて有るなどは、あらたなる善き説を聞きては、斯くてこそはと、いみしく喜びつつ、たちまちに従うたぐいも有りかし。大かた新なる説は、いかに善くても、すみやかには用うる人まれなるものなれど、善きは、年をへても、おのずからつひには世の人のしたがうものにて、あまねく用いらるれば、その時にいたりては、始めにねたみそしりしともがらも、心には悔しく思えど、おくればせに従わむも、猶ねたく、人わろくおぼえて、心よからずながら、古きをまもりてやむともがらも多かり。しか世の中の論さだまりて、皆人のしたがう世に成りては、始めよりすみやかに改めしたがいつる人は、かしこく心さとく思われ、古きにかかずらいて、とかくとどこおれる人は、心おそく云うかいなく思わるるわざぞかし。
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『玉勝間』十一の巻 後の世ははづかしきものなる事安藤の為章が千年山集という物に、契沖の万葉の注釈をほめて、かの顕昭仙覚がともがらを、この大とこになぞらえば、あたかも駑駘にひとしと云うべしと云える、誠にさる事なりかし。そのかみ顕昭などの説に比べては、かの契沖の釈は、加うべきふし無く、事つきたりとぞ、誰もおぼえけむを、今また吾〓県居の大人にくらべてみれば、契沖のともがらもまた、駑駘にひとしとぞ云うべかりける。何事もつぎつぎに後の世は、いと恥ずかしきものにこそ有りけれ。
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『玉勝間』十の巻 古へより伝はれる事の絶るをかなしむ事世の中に、古えの事の、いたく衰えたる、またひたぶるに絶えぬるなども多かるを、かかるめでたき御代にあたりて、何事も起したてまほしき中に、絶えたるも、跡をたずねて、またはじめむに、始めつべきは、遅くも疾くも、直毘の神の頼みの、なおのこれるを、一たび絶えては、またつぐべきよし無く、また始むべき便り無き事どもこそ、殊に云うかいなく、口惜しきわざには有りけれ。古き氏々など、神代のゆえよし重きなどは、更にも云わず、さらぬも、早く末の絶え果てぬるが多き、今は如何に思いても、二たびつぎ起すべきよし無くなん。これらを思うに、万の古き事は、わずかにも残りて、絶えざるをだに、おとしあぶさず、よくとりしたためて、今より後、絶ゆまじきさまに、如何にも如何にも、強くかたく成し置かまほしきわざぞかし。
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うひ山ぶみ・注[ノ]又後世風をもすてずして数おほくよまずはあるべからず、多くよむには、題なくはあるべからず、これらもおのづから然るべきいきほひ也、そもそも後世風、わろき事もあるは、勿論のこと也、然れどもわろき事をのみえり出て、わろくいはんには、古風の方にも、わろきことは有べし、一トむきに後世をのみ、いひおとすべきにあらず、後世風の歌の中にも、又いひしらずめでたくおもしろく、さらに古風にては、よみえがたき趣どもの有ルこと也、すべてもろもろの事の中には、古ヘよりも、後世のまされる事も、なきにあらざれば、ひたぶるに後世を悪しとすべきにもあらず、歌も、古ヘと後とを、くらべていはんには、たがひに勝劣ある中に、おのれ数十年よみこゝろみて、これを考るに、万葉の歌のよきが、ゆたかにすぐれたることは、勿論なれども、今の世に、それをまなびてよむには、猶たらはぬことあるを、世々を経て、やうやうにたらひて、備はれる也、さればこそ、今の世に古風をよむ輩も、初心のほどこそ、何のわきまへもなく、みだりによみちらせ、すこしわきまへも出来ては、
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