玉勝間 / 十四の巻 紙の用
紙の用、物を書く外にいと多し。まづ物を包む事、拭ふこと、また箱籠の類ひに張て器となす事。又かうより、かんでうよりと云ふ物にして、物を結ふ事などなり。これらの外にも猶ことにふれて多かるべし。然るにもろこしの紙は唯だ物を書くにのみ宜しくて、件の事どもにはいといと不便にぞありける。かくて皇國には國國より出る紙の品いといと多くて、厚きうすき、强きやはらかなる、さまざまあげも盡しがたけれど、物書くにはなほ唐の紙に及ものなし。人はいかがおぼゆらむ知らず。我は然おぼゆるなり。
新字:紙の用、物を書く外にいと多し。まづ物を包む事、拭ふこと、また箱籠の類ひに張て器となす事。又かうより、かんでうよりと云ふ物にして、物を結ふ事などなり。これらの外にも猶ことにふれて多かるべし。然るにもろこしの紙は唯だ物を書くにのみ宜しくて、件の事どもにはいといと不便にぞありける。かくて皇国には国国より出る紙の品いといと多くて、厚きうすき、強きやはらかなる、さまざまあげも尽しがたけれど、物書くにはなほ唐の紙に及ものなし。人はいかがおぼゆらむ知らず。我は然おぼゆるなり。
書き下し
紙の用、物を書く外にいと多し。まず物を包む事、拭うこと、また箱籠の類いに張りて器となす事。又こうより、かんでうよりと云う物にして、物を結う事などなり。これらの外にもなおことにふれて多かるべし。然るにもろこしの紙はただ物を書くにのみ宜しくて、件の事どもにはいといと不便にぞありける。かくて皇国には国々より出ずる紙の品いといと多くて、厚きうすき、強きやわらかなる、さまざまあげも尽くしがたけれど、物書くにはなお唐の紙に及ぶものなし。人はいかがおぼゆらむ知らず。我は然おぼゆるなり。
現代語訳
紙の用途は、物を書くほかにたいへん多い。まず物を包むこと、拭うこと、また箱や籠の類いに張って器とすること。また紙縒り、かんでう縒りというものにして物を結ぶことなどである。これらのほかにも、なお事に触れて多いであろう。ところが中国の紙は、ただ物を書くのにだけ適していて、今挙げたことにはたいへん不便である。こうして我が国には国々から出る紙の品がたいへん多くて、厚いもの薄いもの、強いもの柔らかいもの、さまざまで挙げ尽くしがたいけれども、物を書くにはやはり唐の紙に及ぶものはない。人はどう思うか知らない。私はそう思うのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 杉原と云ふ紙園大暦に曰わく、康永三年二月二十一日、今日予左大臣の表状を上る、草の事云云、尋常の榲原(二枚之を続ぐ)、礼紙を加えず(先例に違う如何)、本儀の事、高檀紙に礼紙を加うべきなり、但し榲原又常の事、と有り。杉原と云う紙、是れより先のふみにも見えたるか、知らねど、見あたりたるままに。
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『玉勝間』十四の巻 またしかれども唐絵は、鳥獣虫魚草木など、すべてこの方の家のととくらぶれば、甚だ委しくこまかに書く故に、上手の書けるはまことに真のその物の如く見ゆなるを、この方の家々の絵は、獣の毛のさま、鳥の羽のさま、草木の花のしべ、葉のあやなど、すべてあらく書ける故に、くらべて見ればから絵に、けおさるる事おおし。こは広き家の屏風壁などの絵は、やや遠く見ゆる物なる故に、あまりこまかに委しく書けるは詮なく、なかなかによろしからざる事として、さらさらと書けるを善しとするなるべけれど、なおこまかに委しき唐画の方ぞまさりて見ゆる。大かたこの家々の画と、唐絵と、たがいに得たる所、得ぬ所ありて、勝劣を云いがたき事上の件の如し。又近きころは、家の法にもなずまず、唐絵の書きざまにもかたよらず、ただおのが心もて、いずかたにまれ善しと覚ゆる処をとりて書くたぐいも多き。そのすじは善きを択び悪ろきを捨てて書くゆえに、いずれもいみじき難はおさおさ見えざるなり。
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『玉勝間』十四の巻 から国の詞つかひ皇国の言語にくらぶれば、唐の言語はいとあらき物なり。たとえば罕言と云うこと、皇国言にては、稀れに云うと云うと、云う事まれなりと云うと、心ばえ異なり。稀れにいうは、言と云うこと主となりて、罕ながらも云う事の有る事なり。云うことまれなりは、罕と云うこと主となりて、云うことの稀れなるなり。他の言もこのたぐい多し。すべての事皆かくの如し。
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『玉勝間』十四の巻 仮字皇国の言を、古書どもに、漢文ざまに書けるは、仮字と云うもの無くして、せむかたなく止む事を得ざる故なり。今はかなと云う物ありて、自由に書かるるに、それを捨てて、不自由なる漢文を以て、書かむとするはいかなるひが心得ぞや。
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『玉勝間』十二の巻 檀紙と高檀紙とは別なる事同じ書に、御製の御懐紙、高檀紙か否かの事云云、御製は高檀紙に遊ばされ了んぬ、中殿の御会以前は、普通の檀紙に候か云云。
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『玉勝間』十二の巻 から紙同じ記に、寝殿の簾中の調度、未だ立てず、上達部の座の障子は絹を張るべし、今日なお唐紙たるは然るべからずとある、この唐紙は、唐国の紙をとうしと云うそれにはあらじ。これは今の世にも衾障子に張る、紋ある一種の紙ある、それなるべし。これを唐紙と云うよしは、ひまなく紋の有りて、世のつねの紙とは、そのさま異なればなり。すべて世のつねなると、ことなる物をば、唐なにがしと云う、常のことなり。さて古えに障子と云えるは、多くは衾障子の事にて、今云う障子は、あかり障子なり。さてまたふすま障子と云うよしは、衾をひろげたらんように張りたる故なり。今の世にこれを、ただにふすまとのみ云うは、庖丁刀と云うべきを、庖丁とのみ云うと、同じたぐいの省名なり。またこの衾障子を、から紙とも云うは、件のから紙して張りたるよしにて、唐紙障子のはぶきなり。
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