学則 / 對西肥水秀才問
然世自好者。多謂古自古。今自今。何必學古。自以爲達。殊不知古有聖人。而今無聖人則其人所爲今。誠弗誣。而其能弗悖聖人之道者。吾未之信。其人自以己之心斷之。謂是弗悖古聖人。則其人自以爲聖也。豈不妄乎。乃溺其所習。往往乎語之不能通。故不佞未嘗爲人言之。惡爭也。今足下所見。與不佞符。故詳言之爾。
新字:然世自好者。多謂古自古。今自今。何必学古。自以為達。殊不知古有聖人。而今無聖人則其人所為今。誠弗誣。而其能弗悖聖人之道者。吾未之信。其人自以己之心断之。謂是弗悖古聖人。則其人自以為聖也。豈不妄乎。乃溺其所習。往往乎語之不能通。故不佞未嘗為人言之。悪争也。今足下所見。与不佞符。故詳言之爾。
書き下し
然るに世の自ら好しとする者は、多く謂ふ、古は自ら古、今は自ら今、何ぞ必ずしも古を学ばんと。自ら以て達すと為す。殊に知らず、古には聖人有りて、今は聖人無きことを。則ち其の人の為す所の今なるは、誠に誣ひず。而して其の能く聖人の道に悖らざる者は、吾未だ之を信ぜず。其の人自ら己の心を以て之を断じ、是れ古の聖人に悖らずと謂はば、則ち其の人自ら以て聖と為すなり。豈に妄ならずや。乃ち其の習ふ所に溺れ、往往乎として之に語るも通ずる能はず。故に不佞未だ嘗て人の為に之を言はず。争ひを悪めばなり。今足下の見る所、不佞と符す。故に詳らかに之を言ふのみ。
現代語訳
ところが世の自分をよしとする人々の多くは、「古は古、今は今だ。どうして古を学ぶ必要があろうか」と言い、自分では物事に通じているつもりでいる。古には聖人がいたが、今は聖人がいないということをまるで知らないのである。その人のやることが今風であることは、確かに偽りではない。しかしそれが聖人の道に背いていないかといえば、私は信じない。その人が自分の心で判断して、これは古の聖人に背いていないと言うなら、それは自分を聖人とみなしていることになる。なんと身の程知らずではないか。彼らは自分の習いに溺れていて、しばしば話しても通じない。だから私はこれまで人にこのことを語らなかった。争いを嫌うからである。今、あなたの見解は私と合っている。だから詳しく述べたのである。
解説
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『学則』與平子彬書大氏古今の人は甚だしくは相遠からず。今の有る所は、古も亦た之有り。豈に今の道学先生の言ふ所の若くならんや。夫れ賦なる者は、古詩の流なり。然れども辞賦興りて文章の道濫る。隋科挙を設けて、而して後世文ならざるの儒無し。然れども濫も亦た益〻甚だし。其の濫を視て掃ひて之を除かんと欲するは、亦た羹に懲りて氷を吹くのみ。足下之を思へ。它は面晤せん。不備。
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